中標津こどもクリニックブログ

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急行「はまなす」の思い出 【前編】

私たちの人生はその手につかんでいた物を手放すことによって、はじめて新しいものを手に入れることが出ます。
北海道新幹線が華々しく開業した日の1週間ほど前、青函トンネル開業とともに札幌と青森の間を一晩かけて走っていた日本最後の急行列車「はまなす」が、28年間の役割を終えて私たちの前から姿を消しました。

釧路発の最終の「スーパーおおぞら」に乗るとちょうど南千歳で乗り継ぎのできる「はまなす」は、終点青森から新青森経由で東京行きの「はやぶさ」の一番列車に乗り継ぐことができるとても便利な列車でした。
東日本大震災の後は、三陸沿岸にボランティアに出かけるときによく利用しました。
仕事を終えて大急ぎで釧路に向かい、南千歳、青森経由で、仲間の待つ盛岡駅に午前7時頃に着くので、そこそこの時間に沿岸地域にたどり着くことができて実に重宝しました。
帰りの列車は青森を午後10時過ぎに出発し、札幌に6時頃着くダイヤなので「仕事前に中標津に戻る」ことはできないのであまり利用をすることはありませんでしたが、東北からの帰りが遅くなる折には時々利用して、南千歳で下車をして新千歳空港に向かい、中標津行きの朝の飛行機で「ちょっと遅刻」くらいで帰ってくることもありました。
そんなこんなで、何度もお世話になった急行「はまなす」ですが、その中でも一番思い出に残っているのは、首都圏で新成人達がとんでもない目にあった3年前の成人の日の乗車です。

所用で横須賀方面に出掛けた1月のハッピーマンデーを含む3連休の最終日、用事を済ませて外に出ると思いのほか雪が積もっている。「駅まで送ってあげるよ」という車に乗るもあたりは、わずか数センチの積雪ながら雪に不慣れな皆さんがチェーンも履かずに出かけてしまうものだから幹線道路は大渋滞。四駆の人たちは多少の山坂を乗り越えて裏道を走ってゆきます。そんな流れに乗って命からがら京浜急行の駅にたどり着き電車がほぼ正常に動いていることを知って「ああ、これで帰れる」とほっと胸をなでおろして電車に乗りました。余裕を持って行動し普段より相当早く電車に乗れたので「横浜駅で途中下車してハングリータイガーのハンバーグでも食べようかなぁ・・・」などと能天気な願望が湧き上がりましたが、そこはぐっとこらえてまっすぐ羽田空港に向かいました。終点の羽田空港で電車を降りると地下のホームから地上に上がるエスカレーターで反対側を下ってくる多くの人たちとすれ違い「飛行機から降りて空港を後にする人がこれだけ沢山いるのだから、無事に羽田空港には着陸しているのだろう。着陸さえできれば離陸の方が楽々だぁ。」と無事の帰還に更なる確信を持って出発ロビーに向かいました。するとなにやら様子がおかしい、多くの人がごった返し係員が拡声器で大声を上げている。「なにかな?」と思ったら、わずか数センチの雪のために羽田空港の滑走路は閉鎖されてしまい、「全便欠航」とのことでした。北海道移住後十年を過ぎ、だんだんと感覚や常識が「道産子化」していた私は、こんなわずか数センチの雪で天下の「東京国際空港」が、有事の際には天皇陛下が関東を脱出する時に使われる「陛下の空港」が、使い物にならなくなるとは、これっぽっちも思わずに空港に向かった我が身の浅はかさを恥じました。飛行機に乗れずに引き返してくる人の波を「飛行機降りても、おうちまで気をつけて帰ってねぇ〜♪」などと人の心配していた我が身の愚かさを恥じました。
しかし、落ち込んでいる場合ではありません。私は中標津まで帰らなければいけないのです。既に翌日の飛行機は早めに振り替えた人で既に満席になっており、羽田からの飛行機をあてにしていたら明日中には帰れません。絶体絶命の大ピンチです。
津軽海峡を越えて北海道内にたどり着けば、あとはなんとかなるのではないかと考えた電車オタクの私の脳裏にほんの一筋の光が射しました。
「はまなすを使えば帰れるかもしれない」
新幹線で新青森まで行って青森経由で「はまなす」に乗り継ぐにはぎりぎりの時間かと考え、羽田空港の売店で最新の時刻表を買って駆け足で天下の「東京国際空港」をあとにしました。東京駅までたどり着くと案の定新幹線のキップ売り場は大混乱。当時東北新幹線の主力だった「はやて」は現在の「はやぶさ」と同様に全車指定席となっており、「とにかく乗ってしまえば、あとはなんとかなる」とは言い難い雰囲気がありとにかく「今から乗れる列車の指定席」を求めて特急券をゲット、「順調に走ってくれれば、はまなすに乗り継げる」と、東京への車中でガラケーを駆使して新千歳→中標津の航空券も確保できたため、ようやく東京駅のホームからクリニックのスタッフに「ちょっと遅れるけど、千歳からの朝の便で戻る」と見通しのある連絡を入れることができました。
しかし、神様はそうそう簡単に帰らせてはくれません順調に走り始めた「はやて」はやがて盛岡を過ぎたあたりから徐々にスピードを落とし始めました。どうやら積雪のための「安全運転」のようです。
時刻表を片手に通過駅で列車の遅れた時間と、走行距離からおおまかな速度を算出して、残りの距離と掛け合わせる。ドキドキしながら計算をするがその結果は「このままでは、乗り継げない・・・」青森を出て青函トンネルを走る最終列車が「はまなす」だから、これに乗れないと青森でゲームオーバーになる。翌朝青森からの「スーパー白鳥」函館乗換えで「スーパー北斗」に乗っても新千歳空港に着くのは午後2時、中標津には夕方。始発の「はやぶさ」で東京まで戻っても中標津行きも、車を置いてきた釧路空港行きも満席。
またもや、絶体絶命に追い込まれてしまった。
「ノロい新幹線」に暗い気持ちで揺られていると、「青森始発のはまなすを待たせて、この列車から接続できるようにします。」という大逆転のアナウンス。これで「なんとか帰れる!」ということは確定してホット胸をなでおろしまた。
しかしながら、この大混乱の中で青森からの「はまなす」がまた一筋縄では行かないだろうということは容易に想像できるわけで「決戦の青森駅」に向けて策を練りました。
東京駅の時点で寝台、指定席は全て売り切れで、8時間近くに渡る長旅を制するにはこの新幹線に乗った全てのお客さんの中でトップクラスの順位で乗り換えて自由席の確保に走るしかなく、青森駅での乗り換えポイントなどを入念に確認して東北新幹線新青森駅への到着を待ちました。

【後編】に続く


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