中標津こどもクリニックブログ

蒸発する自転車

先日「子どもの心研修会」という研修会に参加するために大阪に行ってきました。
研修は土日の二日間開催だったのですが、一日目が終わった後に会場の梅北(梅田の北側)から程近いホテルにチェックインをして、阪急電車の十三(じゅうそう)駅近くのねぎ焼き(お好み焼きのキャベツが、長ネギに変わったような食べもの)の発祥の地とされる「ねぎ焼きやまもと」まで散歩がてらに食べに行きました。
淀川にかかる昭和のはじめに架けられた国道176号線の「十三大橋」を渡っていたときのことです。
昨今、普通に歩道にいても車にはねられてしまう事故の報道が相次いでいたので、「北海道から大阪に来て車にはねられてはたまらん」と思って、自動車と対面して敵の動きを察知することができる右側の歩道を歩きました(小学校の時に教わった通りです)。
すぐとなりに「新十三大橋」が架かっているからか、全部で4車線ある十三大橋は大阪中心部の梅田方面に向かう車線が3車線、十三に向かう車線が1車線となっています。
したがって、右側通行をしている私は3車線分のヘッドライトと向かい合いながら決して広くはない歩道を歩いているのですが、のんびり歩いていると突然何かが体のすぐ脇を走り抜けました
なんの前触れも無かったのでぎょっとして振り返ると、自転車が走り去って行きました。
もう一度前を見ると、今度はこちらに向かって走ってくる自転車のライトが見えました。
その自転車をやり過ごすと、今度は前方から話し声が近づいてきましたが、声の主は見えません。
身構えていると、二人乗りの自転車が目の前に出現し、次の瞬間にはすれ違っていました。
自動車学校で、「対向車のヘッドライトで横断歩道を渡る歩行者が蒸発する」という現象を教わっていましたが、全く同じことがこちらに向かって走ってくる自転車に起きているということにその時気づきました。
改めて振り返ると、去ってゆく自転車の姿は背後から照らされるヘッドライトでよく見えます。
歩道も明るく見えて、自転車で走るにはライト無しでも全く問題なく走れそうです。
しかしながら、自転車が蒸発しているという事態に、自転車に乗っていらっしゃる方ご自身が全く気づいていないのだとしたら、それは恐ろしいことです。
私自身が経験したように、歩行者の側からすれば姿の見えない高速移動物体が目の前に突然現れるわけです。
大量の自動車の走行音で自転車の走行音はかき消されていますので、接近を知らずに「ちょっと欄干の方に寄るかな」などと左右方向の移動をすれば、自転車との衝突は不可避です。
歩きなれた歩行者はこのメカニズムを百も承知なのかもしれませんが、ライトを点けずに走行していらっしゃる方は、ご自身もまた大きな危険にさらされているわけですから「こちらからは、歩行者が見えるから」ということで、この現象をご存じないのだと思います。
私達のような田舎町では考える必要も無いことなのでしょうけれど、都会ではもっともっと周知啓発していただきたいものです。


おなかリュック?

昨夜業務連絡をまとめて3つ書いたので、無関係なものを一つ。

この週末、所用で実家のある神奈川に行ってきたのですが、
電車に乗った時に以前よりもお腹側にリュックサックをつけている人
それも高校生などの若い人が増えているのが目立ちました。

混んだ電車の中でリュックを背負っていると、人間が一人立つだけのスペースを占領しますし、振り向いた時などには回転した本人の何倍ものスピードでリュックは回転します。
そのうえ背中には目が付いていないので、うっかり振り向いた時には運が悪いと斜め後ろの人のメガネを勢いよくぶっ飛ばします
最近では車内放送などでも協力を呼びかけていますが、まだまだ少数派です。

世の中には「文化」という言葉がありますが、面白いことに「おなかリュック」というこの文化、関西圏では関東に比べるとまだまだ浸透してないように見受けられます。
エスカレーターでの並び方一つとっても違うわけですから、地方差はあっても不思議はありませんが、都会の満員電車の中だけで成立するこの心やさしい分化が若い人たちを中心に広がってくれたら、日本はもっと暮らしやすい国になるのではないかと、おなかリュック文化のない中標津で夢見る次第です。


地方鉄道の悲哀

先日甲信越に出かけることがあり、その行程の途中で
松本駅から長野駅まで篠ノ井線(しののいせん)というローカル線の普通列車で移動しました。
篠ノ井線は中央本線と北陸新幹線開通前のかつての信越本線を結ぶ短絡路のような働きをしており、
新宿から来る特急「あずさ」は、中央本線を塩尻駅で外れてから松本駅まで篠ノ井線をわずか10kmちょっと走って松本で終着となりますが、
名古屋から来る「しなの」は塩尻から75kmほど篠ノ井線を走って終点の長野駅まで走ります。
線路は単線ですが、ローカル線とはいえ特急列車が一日15往復近く走っている主要な路線です。
走っている電車もちょっと前まで東海道線を走っていた211系電車で、ぜんぜん田舎っぽくないです。

ということで、特別な違和感も無く電車に乗り込んでビールと駅弁でつかの間の幸せを感じていたのですが、
車内の様子が、なんかおかしい
仕事帰り、学校帰りとおぼしき人たちで座れない人もいる運行でしたが、なぜか寒々とした感じがします。
よくよく車内を見渡すと、中吊り広告が無いのです。
厳密には1枚だけあるのですが、それはJR東日本からのお知らせで広告料を取ってのものではありません。
窓上の広告を張り込むスペースにも広告は1枚もありません。
唯一見かけたのは、ドアの戸袋の窓に張ってあるステッカー状の広告です。
日頃乗っていた、うるさいぐらいに広告で満たされた電車とはえらい違いです。

JR北海道の苦戦ぶりは皆さんご存知だと思いますが、ローカル線とはいえ主要な路線の電車に中吊り広告がまるで無いということは、他のJR各社も稼ぎ手の新幹線、特急、都市部の通勤電車以外では、やはり苦戦を強いられているのかと思うに至りました。
鉄道会社、みんな頑張ってほしいです。
ガンバレ!


新宿ゴールデン街

土曜、日曜と研修会だったのですが、
会場が都庁の近くだったので、新宿駅をはさんで反対側にある全国各地での学会などの時に利用している「常宿」東横インを利用しました。
19時頃に研修会第一日が終わって、会場から700メートルくらい歩いて新宿駅そばの『思い出横丁』で焼き鳥とビールで晩ごはんをしてから、また600メートルくらい歩いて『東横イン新宿歌舞伎町』にチェックイン。
荷物を置いて繰り出せばわずか400メートルほどで新宿ゴールデン街です。

ゴールデン街は以前にも解説しましたが、戦後の闇市、青線地帯の流れをくむ猥雑な飲食店街です。
どの店も保障付きでボロっちいけど味があります。
最近は週末ともなれば外国人観光客に占領されそうになっていますが、個性的な店がたくさんあり何度行っても飽きが来ません。
今回は、最近勢いあまって町議になってしまった近所のフォークソングおやじが、東京に行った時に安心して楽しめそうなお店を探すことを目的にして訪れました。
事前調査はしていなかったので、判断基準は店の名前と外から見える店の雰囲気しかありません。
そんなこんなで界隈を一通り歩いて目星を付けたのが、
『名盤酒場 青春』

「これだ!」
と、確信しました。
店の名前は申し分なしです。
愛するフォークソングおやじが、青春時代のレコードを聴いて目を細める姿が目に浮かびます。
しかし、お店は階段を上った二階にあり中の様子は伺い知れません。
それ以外の情報としては「チャージ2000円」の貼り紙です。
2000円です。
ちょっと高いです。
チャージなしのお店もたくさんあります。
なんで高いんだろう。
何を考えて高いんだろう。
なにがしかの営業戦略上であろうか?
いろいろ考えます。

チャージが高ければ一見さんは確実に敬遠します。
それでいいのでしょうか?
既に固定客がたくさんいて、新しい客はいらないのでしょうか?
「税金が高いハワイ州には、貧乏人は住まない。」
という理屈で、いい客層だけ来て欲しいのでしょうか?
金の無い若いモンは嫌いなのでしょうか?
“no charge tax free”
の誘い文句でやって来る外国人が苦手なのでしょうか?
「チャージ2000円」
の一文で、シワがなくなってきた脳ミソはグルグル大回転です。

結局決め手となる結論には至らず。
視点を変えて「私が入ってもいい店か?」という観点で考えてみました。
最近のゴールデン街は健全な店が多く、いわゆる「ボラれる」お店はほとんどなくなってきたそうです。
そこで、目の前のこのお店が「悪いお店かどうか」と考えることにしました。
ボラれちゃうのは、お客さんの方にも問題がある場合があります。
それは「安いじゃん」とか「鼻の下グングン伸びそうじゃん」といった類であると考えられます。
「名盤酒場 青春」で下心は生じず。
「チャージ2000円」で安いとは思わず。
お客がカモにされる要素はなく、
「なぜ2000円なのかはよくわからないが、入ってもひどい目にはあわされないであろう」
という結論に到達し、入店するに至りました。

入ってみたら、昭和の匂いがプンプンする店内に、店主曰く
いしだあゆみのブルー・ライト・ヨコハマ、平山みきの真夏の出来事を起点として、CDに淘汰されてレコードが無くなるまでのJ−POP
というドーナツ盤が4000枚無造作に積まれています。
なぜ、その2曲が起点なのかはよくわかりませんが、そういう説明でした。
念のために
「J−POPって、いわゆる歌謡曲ですか?」
と尋ねると
「そのとおり」
とのこと。
歌謡曲番組全盛時代にテレビっ子だった私は、いろいろとリクエストをしたのですが、
まるで理解できないシステムで、無造作に積まれた4000枚のレコードの中からスルスルと目的のレコードが出てきます。
最近のコンピュータ開発は、人間の脳の働きを真似して効率的なシステムを構築するそうですが、人類最強の検索システムの開発をしている方に是非教えて差し上げたい名人芸です。
ついつい面白がって何曲もリクエストをしてしまいました。
店主もまた「それが好きならこれはどうだ!」「こんな隠れた名曲があるぞ!」みたいなノリで次々と珠玉の名曲をかけて下さいます。
そもそもの目的であったフォークソングにも造詣が深く、百点満点の夜となりました。

新宿にお寄りの際は、是非お立ち寄り下さい。
チャージ2000円の理由は、現地でお聞き下さい。


急行「はまなす」の思い出【後編】

打ち始めたうちにダラダラと長くなってしまって、「はまなす」に乗る前に【前編】が終わってしまいました。
いよいよ「はまなす」に乗り込む【後編】です。

新青森駅では素早くホームを走りぬけて改札を通過し青森駅までの一区間だけ乗る列車に向かい、青森駅で乗り換えに有利なポイントで電車に乗って臨戦態勢です。青森駅に着くやいなやダッシュで「はまなす」に向かいますが、残念ながら客車の数はいつもどおりで増結されている気配はありませんでした。「新幹線からこれだけ多くのお客さんが乗り継ぐのに大丈夫かよ?」と思いながら2両だけある自由席車両の1両目に乗り込むと、「残念、満席!」続いて2両目に移動するもこれまた「残念、満席!」万事休すです
その時、2両目の車両の中央付近に子どもがたくさん座っていることに気づきました。見るからにサッカー選手っぽいスポーツウエアーを着てお行儀よく並んでいます。
急行「はまなす」は青森駅を出ると次の停車駅は2時間半後に津軽海峡の向こう側の函館駅です。その後はチョコチョコと停車を繰り返しながら札幌に向かいます。
そこで「札幌から来たのであれば、さすがに鉄道の長旅は選択しないだろう。この子達は次の停車駅で降りるのではないか?」と考え、近くにいた子どもに「君たち、どこから来たの?」とにこやかに尋ねると「函館です。」と、予想通りの答えが帰って来ました。「この先2時間半は立っていなければならないが、このグループの真ん中あたりの通路に立っていれば間違いなく函館から先は座ってゆける」と、とりあえず函館から南千歳の5時間は座って行けることが保証されてまずはほっと胸をなでおろしました。
監督と思しき方からお話を聞くと、この子達は本来は2時間ほど前に出発した函館行きの最終の「スーパー白鳥」に乗って午後10時前に函館駅で解散する予定だったらしいのですが、新幹線のダイヤの乱れで乗り継ぐことができずに夜行列車に乗る羽目になったようです。みんなこの雪には「やられてる」のです。
こちらはというと近くにいた「札幌まで帰る」サラリーマン風の若者に「みんな函館で降りるらしいよ♪」と話しかけて、お互いに励ましあっていました。
通路にまんべんなく人は立っているものの、決して「すし詰め」までは行かない状態で「はまなす」は函館駅を出発しました。となると、この先函館までは人が増えることは無く、その函館からは座ってゆけるという安心感、満足感にみ満たされた気持ちになりましたが、そうなったらそうなったで、かのアドルフ・ヒトラーの言うとおり「欲望は膨張」するのです。
函館から先の着席が確保されると、次に「座席ではなくとも、なんとか函館まで座れないものか?」という思いがムクムクと首をもたげてきます。スーツケースでも持っていれば即座に椅子にするのですが、あいにく持ち物はリュックサック1個で役に立ちません。そこで「何か使えそうなものは無いか?」とキョロキョロと車内を見渡すと・・・・「あった!」
先ほどお話をしていた監督さんと思しき人の背中と座席の背もたれの間にでっかいスーツケースがありました。チームのメンバーが混み合った列車の中で着席しているので、網棚にのらない大きな荷物を通路に出すことをためらっていらっしゃるのでしょう。すごく「いい人」です。
そのスーツケースにはおそらくビブス、フラッグなどの「監督七つ道具」が入っているものと推測されますが、中身なんてどうでもいい!私はあのスーツケースを椅子にして座りたいのです。
しかしながら「そのスーツケース貸してください、座るから」とはさすがに言えませんからとんちの一休さんのようにひたすら脳みそを回転させます。そして「チーン」と鳴りました。

私:「列車が走り出しましたから、もう乗ってくる人も、車内を移動する人もいらっしゃいませんので、背中のお荷物を通路にお出しになってはいかがですか?」
監督:「いえいえ、子ども達がこれだけ多くの席に座わらせて頂いて、その上通路に荷物を置くなんて申し訳ないです。」
私:「通路にはまだ余裕もありますし、せっかく座れたのであればゆったりなさって下さい。」
監督:「いえいえ、こうやって座らせていただいてるだけでありがたいと思っています。」
私:「今日は子ども達の引率でお疲れでしょうし、明日もお仕事ですよね?ゆっくり体を休めるのも仕事の内ですよ。」
監督:「そうですかぁ?それではお言葉に甘えて」
と背中のスーツケースを通路に出されました。
私(心の声):「来いっ!来いっ!」
そして監督は通路に出したスーツケースを横にしました。
私(心の声):「来たっ!!来たっ!!」
監督:「よろしかったら、おかけになりませんか?」
私(心の声):「やった!!!やった!!!」
私:「えっ?よろしいんですか?ありがとうございます。」
と言って、近くのサラリーマン風の若者と「スーツケース椅子」をシェアして函館まで座らせていただきました。
立っていたときから比べると夢のような環境で、函館駅までうつらうつらしながら過ごしました。天国のような気分です。
そして、函館駅では笑顔で子ども達を見送って、念願の座席に座って帰って来ました。

当事は「生きる力が冴えた!」と思っていましたが、今どきの表現を使えば監督さんは私のメンタリズムにまんまとはまってしまったと言うことでしょうか?

そんな急行「はまなす」の思い出でした。


急行「はまなす」の思い出 【前編】

私たちの人生はその手につかんでいた物を手放すことによって、はじめて新しいものを手に入れることが出ます。
北海道新幹線が華々しく開業した日の1週間ほど前、青函トンネル開業とともに札幌と青森の間を一晩かけて走っていた日本最後の急行列車「はまなす」が、28年間の役割を終えて私たちの前から姿を消しました。

釧路発の最終の「スーパーおおぞら」に乗るとちょうど南千歳で乗り継ぎのできる「はまなす」は、終点青森から新青森経由で東京行きの「はやぶさ」の一番列車に乗り継ぐことができるとても便利な列車でした。
東日本大震災の後は、三陸沿岸にボランティアに出かけるときによく利用しました。
仕事を終えて大急ぎで釧路に向かい、南千歳、青森経由で、仲間の待つ盛岡駅に午前7時頃に着くので、そこそこの時間に沿岸地域にたどり着くことができて実に重宝しました。
帰りの列車は青森を午後10時過ぎに出発し、札幌に6時頃着くダイヤなので「仕事前に中標津に戻る」ことはできないのであまり利用をすることはありませんでしたが、東北からの帰りが遅くなる折には時々利用して、南千歳で下車をして新千歳空港に向かい、中標津行きの朝の飛行機で「ちょっと遅刻」くらいで帰ってくることもありました。
そんなこんなで、何度もお世話になった急行「はまなす」ですが、その中でも一番思い出に残っているのは、首都圏で新成人達がとんでもない目にあった3年前の成人の日の乗車です。

所用で横須賀方面に出掛けた1月のハッピーマンデーを含む3連休の最終日、用事を済ませて外に出ると思いのほか雪が積もっている。「駅まで送ってあげるよ」という車に乗るもあたりは、わずか数センチの積雪ながら雪に不慣れな皆さんがチェーンも履かずに出かけてしまうものだから幹線道路は大渋滞。四駆の人たちは多少の山坂を乗り越えて裏道を走ってゆきます。そんな流れに乗って命からがら京浜急行の駅にたどり着き電車がほぼ正常に動いていることを知って「ああ、これで帰れる」とほっと胸をなでおろして電車に乗りました。余裕を持って行動し普段より相当早く電車に乗れたので「横浜駅で途中下車してハングリータイガーのハンバーグでも食べようかなぁ・・・」などと能天気な願望が湧き上がりましたが、そこはぐっとこらえてまっすぐ羽田空港に向かいました。終点の羽田空港で電車を降りると地下のホームから地上に上がるエスカレーターで反対側を下ってくる多くの人たちとすれ違い「飛行機から降りて空港を後にする人がこれだけ沢山いるのだから、無事に羽田空港には着陸しているのだろう。着陸さえできれば離陸の方が楽々だぁ。」と無事の帰還に更なる確信を持って出発ロビーに向かいました。するとなにやら様子がおかしい、多くの人がごった返し係員が拡声器で大声を上げている。「なにかな?」と思ったら、わずか数センチの雪のために羽田空港の滑走路は閉鎖されてしまい、「全便欠航」とのことでした。北海道移住後十年を過ぎ、だんだんと感覚や常識が「道産子化」していた私は、こんなわずか数センチの雪で天下の「東京国際空港」が、有事の際には天皇陛下が関東を脱出する時に使われる「陛下の空港」が、使い物にならなくなるとは、これっぽっちも思わずに空港に向かった我が身の浅はかさを恥じました。飛行機に乗れずに引き返してくる人の波を「飛行機降りても、おうちまで気をつけて帰ってねぇ〜♪」などと人の心配していた我が身の愚かさを恥じました。
しかし、落ち込んでいる場合ではありません。私は中標津まで帰らなければいけないのです。既に翌日の飛行機は早めに振り替えた人で既に満席になっており、羽田からの飛行機をあてにしていたら明日中には帰れません。絶体絶命の大ピンチです。
津軽海峡を越えて北海道内にたどり着けば、あとはなんとかなるのではないかと考えた電車オタクの私の脳裏にほんの一筋の光が射しました。
「はまなすを使えば帰れるかもしれない」
新幹線で新青森まで行って青森経由で「はまなす」に乗り継ぐにはぎりぎりの時間かと考え、羽田空港の売店で最新の時刻表を買って駆け足で天下の「東京国際空港」をあとにしました。東京駅までたどり着くと案の定新幹線のキップ売り場は大混乱。当時東北新幹線の主力だった「はやて」は現在の「はやぶさ」と同様に全車指定席となっており、「とにかく乗ってしまえば、あとはなんとかなる」とは言い難い雰囲気がありとにかく「今から乗れる列車の指定席」を求めて特急券をゲット、「順調に走ってくれれば、はまなすに乗り継げる」と、東京への車中でガラケーを駆使して新千歳→中標津の航空券も確保できたため、ようやく東京駅のホームからクリニックのスタッフに「ちょっと遅れるけど、千歳からの朝の便で戻る」と見通しのある連絡を入れることができました。
しかし、神様はそうそう簡単に帰らせてはくれません順調に走り始めた「はやて」はやがて盛岡を過ぎたあたりから徐々にスピードを落とし始めました。どうやら積雪のための「安全運転」のようです。
時刻表を片手に通過駅で列車の遅れた時間と、走行距離からおおまかな速度を算出して、残りの距離と掛け合わせる。ドキドキしながら計算をするがその結果は「このままでは、乗り継げない・・・」青森を出て青函トンネルを走る最終列車が「はまなす」だから、これに乗れないと青森でゲームオーバーになる。翌朝青森からの「スーパー白鳥」函館乗換えで「スーパー北斗」に乗っても新千歳空港に着くのは午後2時、中標津には夕方。始発の「はやぶさ」で東京まで戻っても中標津行きも、車を置いてきた釧路空港行きも満席。
またもや、絶体絶命に追い込まれてしまった。
「ノロい新幹線」に暗い気持ちで揺られていると、「青森始発のはまなすを待たせて、この列車から接続できるようにします。」という大逆転のアナウンス。これで「なんとか帰れる!」ということは確定してホット胸をなでおろしまた。
しかしながら、この大混乱の中で青森からの「はまなす」がまた一筋縄では行かないだろうということは容易に想像できるわけで「決戦の青森駅」に向けて策を練りました。
東京駅の時点で寝台、指定席は全て売り切れで、8時間近くに渡る長旅を制するにはこの新幹線に乗った全てのお客さんの中でトップクラスの順位で乗り換えて自由席の確保に走るしかなく、青森駅での乗り換えポイントなどを入念に確認して東北新幹線新青森駅への到着を待ちました。

【後編】に続く


旭山動物園

道内にお住まいの方なら既に行った事のある方も多いと思われるベタな話題ですが、先週末に札幌で用事があった帰りに旭山動物園に行ってきました。
有名な「行動展示」は以前から聞いていましたし、以前小児科関係のフォーラムで園長さんの公園も聞いたことがありましたが、なぜか訪れるチャンスに恵まれず北海道移住後14年にして初の旭山動物園です。
個人的には動物達が元気に暴れまわる夏期の動物園を見たかったのですが、今回は女子に人気の「ペンギンのお散歩」が見られる冬期の開園期間に行ってきました。

開門と同時に入場して、まずは噂のペンギンのお散歩姿を拝見しましたが、「やらされ感」の無いペンギンたちの凛々しい姿には「カワイイ」というよりも野性の「たくましさ」を感じました。
その後多くの動物たちのお住まいにお邪魔してきましたが、噂にたがわず彼らが野性で生活している姿に少しでも近づけるべく努力している様がひしひしと伝わってきました。
世の中にはzoology、動物学という言葉がありますが、目の前にいる彼らを見つめる私たちの目は「博物学」ではなく「動物学」の端っこにあるのかなという気がしました。
園内の説明も機械的なものでなく、手書きの説明文にあふれていて「彼らのことを知って下さい。」というスタッフの思いがとてもよく伝わりました。
中でも、フクロウやワシなどの猛禽類に餌として商業的な価値が無くゴミとして処分されてしまうオスのヒヨコを与えているという説明、残酷とか気持ち悪いとか思われるかもしれないことを、「私たちヒトを含めて全ての生き物はほかの生き物の命を頂いて生きている」という当たり前の事実を、子ども達にも解るように説明してあるのを見て、改めて今日動物園で眼にしたものは、博物学的な動物の「形態」ではなく、食物連鎖の中でたくましく生活をしている「生態」であり、さらに突き詰めれば尊厳すべき「命そのもの」であるという事に気づかされました。
近頃は家で亡くなる方の数も減り、都会ではペットも飼いにくくなり、子ども達が身近な「死」を体験、実感する機会が激減しているように思います。
それゆえ対極にある命の実感の無い子どもは他人の命を、そして自分の命をも大切にすることができません。「命」というものを実感できる体験を動物園でもいいですから角逐して欲しいと思います。
そして多くの野生動物たちにとって彼等の一番の天敵がヒトであるということ、直接的に狩猟の対象にならなくとも、地球温暖化でホッキョクグマが住みかを奪われ、森林開発でオランウータンが住みかを奪われ、多くの生物がヒトによって絶滅の危機に瀕しているという事実も今さらながらに再確認されました。
誰も彼らを絶滅に追いやろうとする意図など微塵もないのですが、気がつけば「悪気は無いのに」取り返しのつかない事をしているわけです。
そう思うと、動物たちのはしくれであるヒト自身も近年貧富の差が拡大し「悪気は無いのに」弱い者を死の淵に追いやるような冷徹な経済活動を繰り返している事にも改めて気づかされます。
ちっちゃな動物園の中でいろいろなことを学んで帰れたような気がします。


新宿ゴールデン街

神奈川出身の私ではありますが、北海道に移住する前に行き損なっていた場所というものはいくらでもあるものです。
子どものころ住んでいた公団住宅「辻堂団地」のすぐ近くにあった「辻堂おでんセンター」は昨年初めて行きました。
行ってみると「なんで今まで行かなかったのだろう?」という気持ちになりましたが、先週末同じような気持ちになりました。

先週末は新宿で「子どもの心研修会」というちゃんとした研修会があり、真面目にお勉強をしてきました。
土日と二日続きの研修会だったのですが、「そういえば、行ったことなかったなぁ・・・」と向かったのが、新宿ゴールデン街でした。

新宿ゴールデン街は歌舞伎町1丁目にあり、その起こりは戦後新宿東口にあった闇市の撤去後の代替地だったそうです。
移転した1950年当時は売春防止法が施工される前のいわゆる「青線地帯」(風俗営業の許可を得ずに飲食店としての許可のみで非合法に売春行為をさせていた地域)だったそうで、1階の飲食店から2階に上がる細くて急な階段が残っていることからもそれがうかがえます。

売春防止法施行後は、「ぼったくりバー」「ゲイバー」とともに、大島渚寺山修二などに代表されるジャーナリスト、作家、演出家、写真家、俳優、モデルなどのアバンギャルドな文化人が集う「文壇バー」が多くの若者を新宿によびこんでいたそうです。

バブル期の地上げ騒ぎの際にもあまりに複雑な権利関係のために再開発をまぬかれ、バブルがはじけた後のゴーストタウン期を過ぎて新しい定期借家制度によって地権者が店舗を貸しやすくなり、若い人たちを含む多くの人が出店するに至って、現在は往時の輝きを取り戻しつつあるようです。

そんな訳で、基本的には健全な店が立ち並んでおりそのたたずまいは個性的で多岐にわたっており、狭い路地には外国人観光客を含めて多くの人が行き交い実に魅力的な街です。
初めて行った私も別に背伸びすることなくいつもどおりに過ごして十分に楽しめました。
そしてお店の魅力ばかりではなく、おなじみさんとおぼしき先客と話をしているうちに「この人、とんでもない人だっ!」と気が付きつつも、たまたま同じ止まり木に止まった一人の客と一人の客、として会話をしているドキドキの楽しみもありました。
みなさんも、新宿近辺でお泊りの際には足を伸ばしてみてはいかがですか?
楽しいですよっ。


弐万かつサンド

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弐万かつサンド
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「弐」だよ
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「お肉2枚」だよ
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500円玉が、1円玉に見える
学会などで羽田空港経由で帰ってくる時のお楽しみは、
創業1949年、東京都千代田区神田須田町は万世橋のたもとにある、お肉の総合デパート、
肉の万世」で作っている「万かつサンド」を買って帰ります。
羽田を通りかかる頃は往々にして沢山食べた昼ごはんがまだおなかに残っているのと、釧路空港から中標津までの道中が眠くならないように家に持ち帰り、翌日の昼ごはんなどに食べます。(賞味期限は当日中なので、夏場などよい子の皆さんはまねをしないで下さい。)
食パンにソース味のトンカツが挟まっているだけのいたってシンプルなサンドイッチで、兄弟商品に「ハンバーグサンド」「ひれかつサンド」などがあるのですが、シンプルなロースカツの「万かつサンド」が、自分の中では定番です。

昨日羽田から帰ろうとしたときに、見慣れないパッケージを発見。
その名も「弐万かつサンド」!
お肉2枚」という解説的な表示から、二枚の食パンの間にお肉が2枚挟まっている姿は想像に難くないのですが、
どうしても実物を見たい!
という衝動に駆られて購入を決定いたしました。

家に帰って箱を開けてビックリ!
(小銭のように見える500円玉と比較して下さい。)
ものすごいボリュームです!!
50を過ぎたオヤジがこんなもの喰ってはいけません!!!
昭和の終わりに医者になって幾年月、なんとなく感じていることは、
「おいしいものは、往々にして健康によくない」
ということですが、結局食べました。


なんのことはない。
ただ単に「写真入り」を試してみたかったのでやってみました。
つまらない話題でごめんなさい。


「岬」

昨日テレビで吉永小百合さんが手がけた映画「ふしぎな岬の物語」が海外の映画祭で賞をいただいたというニュースを目にしました。
なんとなく眺めていただけだったのですが、どうやら映画の舞台は平成に入った頃からよく通っていた房総半島の小さな岬にあるカフェ「岬」であることに気がつきました。
休みの日に三浦半島の久里浜港から、東京湾をフェリーで横切って、房総半島の金谷港まで行けばもうすぐそこで、フェリーを降りて一服してからオートバイや自動車で房総半島を走って、帰りにまたコーヒーを飲んでから帰るというパターンでした。
ニュースの途中で流れた映画のワンシーンに出てくる喫茶店の、四分の一くらいしかないちっちゃなお店です。
2〜3年前に火事で燃えてしまったと聴いて心配していたのですが、昨年、久しぶりに訪れたら再建されていて、ご主人もお元気で安心しました。
その時に「うちの店が、本になっちゃったのよ」って見せていただいてた森沢明夫さんの「虹の岬の喫茶店」という本をすぐに買って読みました。
在りし日の本物のお店をよく知っているので、若干の違和感はありましたが、心に沁みるいい本でした。
チャンスがあれば、映画も観てみたいと思っています。
羽田からアクアライン経由で行けば高速を50kmちょっと走って、
富津館山道路の富津金屋(東京湾フェリーの出る港の近く)で降りれば、
ものの4〜5km位で着きますが、「えっ、こんなところお店があるの?
という場所なので国道を降りる時には注意が必要です。
東京に行く機会があってちょっとまとまった時間があればいいドライブコースです。
でも、映画になったから混じゃうかな?


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