中標津こどもクリニックブログ

急行「はまなす」の思い出【後編】

打ち始めたうちにダラダラと長くなってしまって、「はまなす」に乗る前に【前編】が終わってしまいました。
いよいよ「はまなす」に乗り込む【後編】です。

新青森駅では素早くホームを走りぬけて改札を通過し青森駅までの一区間だけ乗る列車に向かい、青森駅で乗り換えに有利なポイントで電車に乗って臨戦態勢です。青森駅に着くやいなやダッシュで「はまなす」に向かいますが、残念ながら客車の数はいつもどおりで増結されている気配はありませんでした。「新幹線からこれだけ多くのお客さんが乗り継ぐのに大丈夫かよ?」と思いながら2両だけある自由席車両の1両目に乗り込むと、「残念、満席!」続いて2両目に移動するもこれまた「残念、満席!」万事休すです
その時、2両目の車両の中央付近に子どもがたくさん座っていることに気づきました。見るからにサッカー選手っぽいスポーツウエアーを着てお行儀よく並んでいます。
急行「はまなす」は青森駅を出ると次の停車駅は2時間半後に津軽海峡の向こう側の函館駅です。その後はチョコチョコと停車を繰り返しながら札幌に向かいます。
そこで「札幌から来たのであれば、さすがに鉄道の長旅は選択しないだろう。この子達は次の停車駅で降りるのではないか?」と考え、近くにいた子どもに「君たち、どこから来たの?」とにこやかに尋ねると「函館です。」と、予想通りの答えが帰って来ました。「この先2時間半は立っていなければならないが、このグループの真ん中あたりの通路に立っていれば間違いなく函館から先は座ってゆける」と、とりあえず函館から南千歳の5時間は座って行けることが保証されてまずはほっと胸をなでおろしました。
監督と思しき方からお話を聞くと、この子達は本来は2時間ほど前に出発した函館行きの最終の「スーパー白鳥」に乗って午後10時前に函館駅で解散する予定だったらしいのですが、新幹線のダイヤの乱れで乗り継ぐことができずに夜行列車に乗る羽目になったようです。みんなこの雪には「やられてる」のです。
こちらはというと近くにいた「札幌まで帰る」サラリーマン風の若者に「みんな函館で降りるらしいよ♪」と話しかけて、お互いに励ましあっていました。
通路にまんべんなく人は立っているものの、決して「すし詰め」までは行かない状態で「はまなす」は函館駅を出発しました。となると、この先函館までは人が増えることは無く、その函館からは座ってゆけるという安心感、満足感にみ満たされた気持ちになりましたが、そうなったらそうなったで、かのアドルフ・ヒトラーの言うとおり「欲望は膨張」するのです。
函館から先の着席が確保されると、次に「座席ではなくとも、なんとか函館まで座れないものか?」という思いがムクムクと首をもたげてきます。スーツケースでも持っていれば即座に椅子にするのですが、あいにく持ち物はリュックサック1個で役に立ちません。そこで「何か使えそうなものは無いか?」とキョロキョロと車内を見渡すと・・・・「あった!」
先ほどお話をしていた監督さんと思しき人の背中と座席の背もたれの間にでっかいスーツケースがありました。チームのメンバーが混み合った列車の中で着席しているので、網棚にのらない大きな荷物を通路に出すことをためらっていらっしゃるのでしょう。すごく「いい人」です。
そのスーツケースにはおそらくビブス、フラッグなどの「監督七つ道具」が入っているものと推測されますが、中身なんてどうでもいい!私はあのスーツケースを椅子にして座りたいのです。
しかしながら「そのスーツケース貸してください、座るから」とはさすがに言えませんからとんちの一休さんのようにひたすら脳みそを回転させます。そして「チーン」と鳴りました。

私:「列車が走り出しましたから、もう乗ってくる人も、車内を移動する人もいらっしゃいませんので、背中のお荷物を通路にお出しになってはいかがですか?」
監督:「いえいえ、子ども達がこれだけ多くの席に座わらせて頂いて、その上通路に荷物を置くなんて申し訳ないです。」
私:「通路にはまだ余裕もありますし、せっかく座れたのであればゆったりなさって下さい。」
監督:「いえいえ、こうやって座らせていただいてるだけでありがたいと思っています。」
私:「今日は子ども達の引率でお疲れでしょうし、明日もお仕事ですよね?ゆっくり体を休めるのも仕事の内ですよ。」
監督:「そうですかぁ?それではお言葉に甘えて」
と背中のスーツケースを通路に出されました。
私(心の声):「来いっ!来いっ!」
そして監督は通路に出したスーツケースを横にしました。
私(心の声):「来たっ!!来たっ!!」
監督:「よろしかったら、おかけになりませんか?」
私(心の声):「やった!!!やった!!!」
私:「えっ?よろしいんですか?ありがとうございます。」
と言って、近くのサラリーマン風の若者と「スーツケース椅子」をシェアして函館まで座らせていただきました。
立っていたときから比べると夢のような環境で、函館駅までうつらうつらしながら過ごしました。天国のような気分です。
そして、函館駅では笑顔で子ども達を見送って、念願の座席に座って帰って来ました。

当事は「生きる力が冴えた!」と思っていましたが、今どきの表現を使えば監督さんは私のメンタリズムにまんまとはまってしまったと言うことでしょうか?

そんな急行「はまなす」の思い出でした。


急行「はまなす」の思い出 【前編】

私たちの人生はその手につかんでいた物を手放すことによって、はじめて新しいものを手に入れることが出ます。
北海道新幹線が華々しく開業した日の1週間ほど前、青函トンネル開業とともに札幌と青森の間を一晩かけて走っていた日本最後の急行列車「はまなす」が、28年間の役割を終えて私たちの前から姿を消しました。

釧路発の最終の「スーパーおおぞら」に乗るとちょうど南千歳で乗り継ぎのできる「はまなす」は、終点青森から新青森経由で東京行きの「はやぶさ」の一番列車に乗り継ぐことができるとても便利な列車でした。
東日本大震災の後は、三陸沿岸にボランティアに出かけるときによく利用しました。
仕事を終えて大急ぎで釧路に向かい、南千歳、青森経由で、仲間の待つ盛岡駅に午前7時頃に着くので、そこそこの時間に沿岸地域にたどり着くことができて実に重宝しました。
帰りの列車は青森を午後10時過ぎに出発し、札幌に6時頃着くダイヤなので「仕事前に中標津に戻る」ことはできないのであまり利用をすることはありませんでしたが、東北からの帰りが遅くなる折には時々利用して、南千歳で下車をして新千歳空港に向かい、中標津行きの朝の飛行機で「ちょっと遅刻」くらいで帰ってくることもありました。
そんなこんなで、何度もお世話になった急行「はまなす」ですが、その中でも一番思い出に残っているのは、首都圏で新成人達がとんでもない目にあった3年前の成人の日の乗車です。

所用で横須賀方面に出掛けた1月のハッピーマンデーを含む3連休の最終日、用事を済ませて外に出ると思いのほか雪が積もっている。「駅まで送ってあげるよ」という車に乗るもあたりは、わずか数センチの積雪ながら雪に不慣れな皆さんがチェーンも履かずに出かけてしまうものだから幹線道路は大渋滞。四駆の人たちは多少の山坂を乗り越えて裏道を走ってゆきます。そんな流れに乗って命からがら京浜急行の駅にたどり着き電車がほぼ正常に動いていることを知って「ああ、これで帰れる」とほっと胸をなでおろして電車に乗りました。余裕を持って行動し普段より相当早く電車に乗れたので「横浜駅で途中下車してハングリータイガーのハンバーグでも食べようかなぁ・・・」などと能天気な願望が湧き上がりましたが、そこはぐっとこらえてまっすぐ羽田空港に向かいました。終点の羽田空港で電車を降りると地下のホームから地上に上がるエスカレーターで反対側を下ってくる多くの人たちとすれ違い「飛行機から降りて空港を後にする人がこれだけ沢山いるのだから、無事に羽田空港には着陸しているのだろう。着陸さえできれば離陸の方が楽々だぁ。」と無事の帰還に更なる確信を持って出発ロビーに向かいました。するとなにやら様子がおかしい、多くの人がごった返し係員が拡声器で大声を上げている。「なにかな?」と思ったら、わずか数センチの雪のために羽田空港の滑走路は閉鎖されてしまい、「全便欠航」とのことでした。北海道移住後十年を過ぎ、だんだんと感覚や常識が「道産子化」していた私は、こんなわずか数センチの雪で天下の「東京国際空港」が、有事の際には天皇陛下が関東を脱出する時に使われる「陛下の空港」が、使い物にならなくなるとは、これっぽっちも思わずに空港に向かった我が身の浅はかさを恥じました。飛行機に乗れずに引き返してくる人の波を「飛行機降りても、おうちまで気をつけて帰ってねぇ〜♪」などと人の心配していた我が身の愚かさを恥じました。
しかし、落ち込んでいる場合ではありません。私は中標津まで帰らなければいけないのです。既に翌日の飛行機は早めに振り替えた人で既に満席になっており、羽田からの飛行機をあてにしていたら明日中には帰れません。絶体絶命の大ピンチです。
津軽海峡を越えて北海道内にたどり着けば、あとはなんとかなるのではないかと考えた電車オタクの私の脳裏にほんの一筋の光が射しました。
「はまなすを使えば帰れるかもしれない」
新幹線で新青森まで行って青森経由で「はまなす」に乗り継ぐにはぎりぎりの時間かと考え、羽田空港の売店で最新の時刻表を買って駆け足で天下の「東京国際空港」をあとにしました。東京駅までたどり着くと案の定新幹線のキップ売り場は大混乱。当時東北新幹線の主力だった「はやて」は現在の「はやぶさ」と同様に全車指定席となっており、「とにかく乗ってしまえば、あとはなんとかなる」とは言い難い雰囲気がありとにかく「今から乗れる列車の指定席」を求めて特急券をゲット、「順調に走ってくれれば、はまなすに乗り継げる」と、東京への車中でガラケーを駆使して新千歳→中標津の航空券も確保できたため、ようやく東京駅のホームからクリニックのスタッフに「ちょっと遅れるけど、千歳からの朝の便で戻る」と見通しのある連絡を入れることができました。
しかし、神様はそうそう簡単に帰らせてはくれません順調に走り始めた「はやて」はやがて盛岡を過ぎたあたりから徐々にスピードを落とし始めました。どうやら積雪のための「安全運転」のようです。
時刻表を片手に通過駅で列車の遅れた時間と、走行距離からおおまかな速度を算出して、残りの距離と掛け合わせる。ドキドキしながら計算をするがその結果は「このままでは、乗り継げない・・・」青森を出て青函トンネルを走る最終列車が「はまなす」だから、これに乗れないと青森でゲームオーバーになる。翌朝青森からの「スーパー白鳥」函館乗換えで「スーパー北斗」に乗っても新千歳空港に着くのは午後2時、中標津には夕方。始発の「はやぶさ」で東京まで戻っても中標津行きも、車を置いてきた釧路空港行きも満席。
またもや、絶体絶命に追い込まれてしまった。
「ノロい新幹線」に暗い気持ちで揺られていると、「青森始発のはまなすを待たせて、この列車から接続できるようにします。」という大逆転のアナウンス。これで「なんとか帰れる!」ということは確定してホット胸をなでおろしまた。
しかしながら、この大混乱の中で青森からの「はまなす」がまた一筋縄では行かないだろうということは容易に想像できるわけで「決戦の青森駅」に向けて策を練りました。
東京駅の時点で寝台、指定席は全て売り切れで、8時間近くに渡る長旅を制するにはこの新幹線に乗った全てのお客さんの中でトップクラスの順位で乗り換えて自由席の確保に走るしかなく、青森駅での乗り換えポイントなどを入念に確認して東北新幹線新青森駅への到着を待ちました。

【後編】に続く


旭山動物園

道内にお住まいの方なら既に行った事のある方も多いと思われるベタな話題ですが、先週末に札幌で用事があった帰りに旭山動物園に行ってきました。
有名な「行動展示」は以前から聞いていましたし、以前小児科関係のフォーラムで園長さんの公園も聞いたことがありましたが、なぜか訪れるチャンスに恵まれず北海道移住後14年にして初の旭山動物園です。
個人的には動物達が元気に暴れまわる夏期の動物園を見たかったのですが、今回は女子に人気の「ペンギンのお散歩」が見られる冬期の開園期間に行ってきました。

開門と同時に入場して、まずは噂のペンギンのお散歩姿を拝見しましたが、「やらされ感」の無いペンギンたちの凛々しい姿には「カワイイ」というよりも野性の「たくましさ」を感じました。
その後多くの動物たちのお住まいにお邪魔してきましたが、噂にたがわず彼らが野性で生活している姿に少しでも近づけるべく努力している様がひしひしと伝わってきました。
世の中にはzoology、動物学という言葉がありますが、目の前にいる彼らを見つめる私たちの目は「博物学」ではなく「動物学」の端っこにあるのかなという気がしました。
園内の説明も機械的なものでなく、手書きの説明文にあふれていて「彼らのことを知って下さい。」というスタッフの思いがとてもよく伝わりました。
中でも、フクロウやワシなどの猛禽類に餌として商業的な価値が無くゴミとして処分されてしまうオスのヒヨコを与えているという説明、残酷とか気持ち悪いとか思われるかもしれないことを、「私たちヒトを含めて全ての生き物はほかの生き物の命を頂いて生きている」という当たり前の事実を、子ども達にも解るように説明してあるのを見て、改めて今日動物園で眼にしたものは、博物学的な動物の「形態」ではなく、食物連鎖の中でたくましく生活をしている「生態」であり、さらに突き詰めれば尊厳すべき「命そのもの」であるという事に気づかされました。
近頃は家で亡くなる方の数も減り、都会ではペットも飼いにくくなり、子ども達が身近な「死」を体験、実感する機会が激減しているように思います。
それゆえ対極にある命の実感の無い子どもは他人の命を、そして自分の命をも大切にすることができません。「命」というものを実感できる体験を動物園でもいいですから角逐して欲しいと思います。
そして多くの野生動物たちにとって彼等の一番の天敵がヒトであるということ、直接的に狩猟の対象にならなくとも、地球温暖化でホッキョクグマが住みかを奪われ、森林開発でオランウータンが住みかを奪われ、多くの生物がヒトによって絶滅の危機に瀕しているという事実も今さらながらに再確認されました。
誰も彼らを絶滅に追いやろうとする意図など微塵もないのですが、気がつけば「悪気は無いのに」取り返しのつかない事をしているわけです。
そう思うと、動物たちのはしくれであるヒト自身も近年貧富の差が拡大し「悪気は無いのに」弱い者を死の淵に追いやるような冷徹な経済活動を繰り返している事にも改めて気づかされます。
ちっちゃな動物園の中でいろいろなことを学んで帰れたような気がします。



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