中標津こどもクリニックブログ

お伊勢参り

先月、期せずして三種の神器の内の二つが祀ってある場所を訪れた勢いで、鹿児島でゴキブリを退治した帰りにお伊勢参りをしてきました。

昨年に式年遷宮を迎えた、日頃世間では「伊勢神宮」と呼ばれている神社の正式名称は、「神宮」です。
それは、神社の中の神社、神社の総本山、NO1神社、唯一無二のThe神社、という意味で、ちょうどゴルフの数あるオープン選手権(プロアマを問わず、全ての人に開かれた大会)の内、一番歴史のある全英オープン選手権の正式名称が「The Open Championship」であるのと同じような意味合いです。

その起こりは、歴代天皇が常にそばに置くようにとされていた三種の神器を第十代崇神天皇が、政治という穢れ(けがれ)を行なう場所に置くことは好ましくないとして皇居より移し、その後ふさわしき場所を探させ垂仁天皇の御世に伊勢の五十鈴川のほとりに天照大御神(あまてらすおおみかみ)が神霊を込めたとされる八咫鏡(やたのかがみ)を御神体としてお祀りしたことに始まっています。
今から2000年も前のことです。
皇室の氏神である天照大御神を祀る神宮はかつては天皇以外はお参りする事ができませんでしたが、その後は日本全体の鎮守として位置づけられ、江戸時代には日本の総人口の1割を超える人々が訪れる年もあり、江戸からだと片道15日かけても「一生に一度はお参りしたい」と誰もが思う信仰の対象でした。
昨年は、新しい本殿を作って御神体を移動させる20年に一度の式年遷宮で注目されましたが、実は遷宮の翌年を「おかげ年」といって特別に御利益がある年とされています。

そんな神宮に前回の式年遷宮依頼20年ぶりにお参りをしてきましたが、神聖な御神体を祀るにふさわしい、水と緑に囲まれた境内は神々しく張り詰めた空気に満たされていて、私たち日本人にとって共通の大切な場所であることを改めて感じました。

これで日頃の穢れが少しは洗い清められたかもしれません。


ゴキブリ

こう見えても湘南育ちの私は、子どものころからゴキブリと戦い続けてきました。
北海道に移住してからは家の中で出くわすことはなくなり、きわめて心安らかに暮らしています。
逆の言い方をすれば彼らが私たちに及ぼす有形無形(姿が見えても、見えなくても)のストレスには計り知れないものがあります。
そんなゴキブリに久しぶりに遭遇しました。

幸いなことに自分と同じように地域密着型の小児科の開業医仲間が全国に沢山いて有難い事にかまってもらっているのですが、そんな中で鹿児島県鹿屋市(桜島の右下側の半島にある)の仲間が市を巻き込んで毎年開催している、「障害のある人も無い人も、みんなでバリアフリーな社会を築きましょう!」みたいな趣旨で10年ちょっと前に宮城県仙台市で始まった「とっておきの音楽祭」の鹿屋市版に今年も呼ばれて出演してきました。
地元のアマチュアミュージシャン、中学のブラスバンド、養護学校のアンサンブルなどに混じってステージに立ち、音楽祭は無事に終了し、会場の親水広場で打ち上げを行い、夜は暮れてゆきました。
その後、実行委員会の屋台骨を支えた方たちと昭和の雰囲気が漂う飲み屋街を歩いてスナックで二次会となりました。
その店にいたのです。
奴は・・・

宴もたけなわとなった頃に、なにやら横に並んでいる女子達が騒がしい。
ふと気がつくと左腕に怪しげな感触が・・・
思わず振り払うと5cm強のゴキブリがイスの上を走っている。
どうやら横にいたお姉さん達のくび元をかすめて、私の左腕に移動してきたようである。
その後の足取りはなぜかスナックにありがちな一本足のテーブルの裏に移動してそこで息を殺して気配を消そうとしている。
しかし、黄色い島ぞうりを手に持った私は果敢にアタック!一撃で仕留めて大喝采を浴びました。

最後にゴキブリと顔を合わせたのは沖縄に行った5年前、B級ホテルに一人で泊まっていた時だったので「別に、食われはしまい」と、そのままやり過ごした
今回はなんとかやっつけないと女子達がおさまらないであろうと対決の必要性を自覚して立ち上がりましたが、この手で仕留めたのは北海道に移住する前の12年前以来、久々の対決に燃えた



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