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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2005年01月30日(日) 天気:晴れ 最高:9℃ 最低:1℃

 久しぶりにプラス気温の朝を迎えた。当たり前だが、犬たちの水おけに氷はない。いつもの踵蹴りが出せず、何となく不満だった。

 この冬1番の寒気襲来とのことで心配をした中標津の天候も、さすがに太平洋側、昨日、わずかに雪が舞っただけで、今日は晴れとのことだった。
 
 そして午後3時半、羽田の新しくシャレたターミナル。休日の旅から戻った人で賑わうロビーに鶏の声が響いた。
 入れ物は中型犬用のケージである。誰もが中は犬と思うだろう。ところがどっこい、
  
 『コッコッコッ!』。。。!

 聞き留めた方は、不思議そうな顔をしてケージを見た、次いで私と女房を眺めた。

 ウコッケイと鶏のミックスである「コッケイ」とその息子(こちらは4分の3ウコッケイになる)は、無事に東京に着いた。北海道では向かう所敵なしだったコッケイが、すぐに先住のメスに追われたのがおかしくもあり、切なくも感じた。
 彼が自慢の蹴りを見せてくれるのは、少し時間がたってからかも知れない。もちろん蹴られる相手は人間である。



2005年01月28日(金) 天気:晴れ時々曇り 最高:9℃ 最低:−2℃


 タブの子犬たち、生後40日となった。
 13匹中、11匹が3キロを超えている。順調すぎるほどである。
 
 「もう新しい飼い主さんに渡す時期ですよね。昨日行ったショップでは、もっと小さな子が売られていましたよ。。。」
 来られたお客さんから、そう言われた。

 この子たちは、後1ヶ月は王国に留まり、母に叱られ、兄弟で争い、固まって眠り、そして他の犬やネコたちに尾を振って過ごす。
 飼い主さんと決まっている方々は、週に何度も来られて自分の子犬の成長具合を確認されている。



2005年01月25日(火) 天気:晴れのち曇り 最高:11℃ 最低:−2℃


 ぐんぐんと気温が上がり、ネコたちが建物から出て行く天候になった。彼らが大好きなポイントは日だまり広場と七福神がまつられている島、そして百友坊の入口付近にある小さな建物周辺だ。
 それぞれが好きな所で、それぞれが好きな子と遊び、ひなたぼっこをしている。



2005年01月24日(月) 天気:晴れ 最高:6℃ 最低:−3℃

 穏やかな1日だった。
 タブの子犬たちは育児箱から溢れ出し、今日から2平米ほどのサークルに囲まれた所も自由エリアとした。
 これで2部屋持ちになった13匹、もともとの部屋は母親のミルクを飲む場所、眠る場所として使い、新しい部屋はトイレ兼遊び場となっている。
 眠っている時に大小便を催すと、あわてて起き上がり、2部屋の間にある高さ15センチの仕切り板を乗り越え、新しいスペースの端で匂いを嗅ぎ、そこで済ませている。
 この自主的な(成長とともに起きる本能的な自習)トレーニングをこなした子犬は、新しい家にもらわれて行っても簡単にトイレを教えられる可能性が高い(あるコツが必要だが)。
 そんな意味からも母犬、兄弟犬と2ヶ月以上暮らすことは重要だと、13匹の見事な動きを見ながら感じている。

 ちなみに、タブ母さんは子犬が匂いを嗅いでトイレ場所を決めようとする仕草を見たとたんに起きあがり、出てくる大便を食べようと待ち構えている。
 生後35日を過ぎてもこの行動ができる実に見事な母親であり、おかげで育児スペースは酷いことにならずに済んでいる。



2005年01月23日(日) 天気:曇りのち雪 最高:3℃ 最低:−4℃


 太陽は姿を隠し、午後には雪がちらついてきた。
 こんな日は気温が上がらない。年齢が5歳以上のネコたちは、雑居館の温風吹き出し口の下や、ネコ館の座布団やネコハウスの中から動こうとしなかった。
 



2005年01月22日(土) 天気:晴れ 最高:10℃ 最低:−4℃

 今日の『ドッグラン・プチ』

 2匹のボルゾイが優雅に、そしてダイナミックに駈けた。
 それを黒ラブのオスたちが追った。
 
 黒茶のコーギーが駆ける犬たちを大好きな家族の足もとで眺めた。
 その横で、小柄なジャックラッセルが短い尾を振り、駆け出すチャンスを狙っていた。

 インストラクト犬として、ラブのセン、サモエドのラーナ、フレンチブルのポチ、ボーダーのスカリー、コーギーのクノイチなどが、ゲストの犬たちの匂いを嗅ぎ、自分の匂いを落ちついて嗅がせていた。

 年末に新しい飼い主さんのもとへ旅立ったラーナの子犬が2匹、元気に顔を見せてくれた。
 たちまち母親は2匹を転げ回し、姉妹は1ヶ月前の遊びを思い出し、落ち葉で身体をくるんで闘った。

 仲良しのレオンベルガーのメイとサモエドのミミが千葉からやって来た。
 待っていましたと、ミミの母親のダーチャと、ドッグラン初体験の父親のカザフが参加した。
 カザフはミミの匂いを嗅いだ。ミミは腹を見せ、落ち着いて挨拶をこなした。
 すぐにカザフは大好きなダーチャを追い、何度も叱られた。

 オスがいっぱいだった。百友坊でナンバーワンになったカザフの対応が心配だった。
 しかし、それは杞憂に終わり、カザフは落ち着いて周囲の確認をしていた。

 ナオキくんが、出産から世話をし、見守ってきたジャックラッセルのアドの子犬を連れてきた。
 子犬は全ての犬に匂いを嗅がれる間、けして動かず、怯えず、尾を小さく振って初めての他の犬との密接な対面を耐えていた。そして、すぐに駆け回り、喜びを爆発させていた。

 風は姿を隠し、雲を失った青空は、集う人と生きものたちの笑顔を冬陽で染めていた。



2005年01月21日(金) 天気:晴れ時々曇り 最高:7℃ 最低:−1℃

 昨日、女房が中標津に戻った。
 北の地に残している生きものたち(一人暮らしで何を食べているか判らない息子も含む)の確認やら、事務的な仕事などが待っている。
 
 ムツ牧場にある我が家では、3匹のキタキツネ、1頭のヤギ(メエスケ)、数匹のウサギ、10羽ほどのニワトリとウコッケイ、犬のレッド(柴犬・ラッキーたちの兄弟)、バルト(レオンベルガー・ベルクの旦那)、ネコのクロ、ルドなどが暮らしている。
 息子の情報では、やはり仲間の数が減ったことにより、全体の覇気が失われたようだ。それに加齢が影響し、何となく静かな石川家らしい。

 私は、いつ戻って彼らの姿を確認できるのか、それは判らない。せめて女房だけでもと思い、飛行機の超割のたびに北帰行をしている。
 今日、どんな内容の電話がかかって来るか、楽しみでもあり、怖くもある。



2005年01月20日(木) 天気:晴れ 最高:8℃ 最低:−2℃

 基本的に木曜日が休園の王国。と言ってもメンバーの仕事は変わらない。これは生きものたちと暮らしている基本の部分であり、不平や不満はどこからも出てこない。

 そんな1日、王国の中は朝から賑やかだった。春に向けての新しいイベントの練習。若い犬たちの社会性確認トレーニング。ガラクタの片付けにゴミ拾い。
 明日からの王国のために、みんなが力を合わせて1歩前に出る。
 
 北の地からは大雪の便りが届いているが、あきる野の王国は穏やかな冬晴れで終わった。



2005年01月19日(水) 天気:晴れ 最高:8℃ 最低:−3℃


 タブの子犬たちが誕生して1ヶ月になった。
 離乳食をばくばく1日3回。母親のミルクをいまだにたっぷり吸い、ジャーキーをしゃぶるようになった。
 住まい(育児箱)は、王国に来られる皆さんの目の前にあり、一応サークルで囲われては要るが、手を伸ばせば届く距離だ。
 今日は、とうとう箱の仕切り板を乗り越えてサークルの際まで行き、いつの間にか隙間からお客さんの手で可愛がられていた。
 その時、子犬の尾は見事に振られていた。
 この調子なら将来は人間大好き犬、、、。
 
 嬉しい私は、子犬を抱き上げ、何度もほおずりをした。



2005年01月18日(火) 天気:晴れ 最高:11℃ 最低:−1℃


 ポチとポチポチ、今、百友坊は紛らわしい。
 と言っても、犬のポチとポチポチにはなんら問題は起きていない。もっぱら人間の世界で2匹の混同が発生している。
 
 「ポチがね〜、、、」
 と誰かが発すると、
 
 「えっ、ポチポチがどうかしたの、またメスの尻を追いかけた?」
 
 「違うわよ、ポチがね、池に落ちたの。ポチポチじゃなくてポチ、、、!」

 そのうち良い区別が発見されると思うが、今のところ2匹の取り違い会話が続発している。

 では、なぜ2匹の間では問題がないか、その理由は簡単である。ポチはどんなに大きな声で『ポチ、ポチポチ』と人間の声がしていても、彼女には聞こえないからである。
 17歳、けして他の犬に敵意や恐怖を示さず、たんたんとエリアを歩くポチ、その身体には張りがあり、再会をした私はニコニコとポチの後を追い、他の犬に見つからぬように気を使いながらジャキーをあげている。

 



2005年01月17日(月) 天気:晴れ 最高:10℃ 最低:−1℃

 あまのじゃくかも知れないが、私は一斉に何かを糾弾するのが大嫌いだ!
 『実は私も、、、、』
 などと周囲の空気に合わせて出現する輩を、笑顔で正面から見つめる勇気は持ち合わせていない。

 そんな事はさておき、私はNHKが好きである。
 つい先日も、ある特集番組を視ながら女房と静かに語り合った。結婚をして29年、こんな光景は、あの番組がなければあり得なかったかも知れない。
 
 タイトルは「そして歌が生まれた」か「、、、誕生した」だったと思う。
 1曲の歌にまつわる作詞家、作曲家、そして歌い手のドラマが淡々と繰り広げられていた。
 数曲の紹介の最後に『涙そうそう』編が流れた。石垣島と森山良子さんの糸が、微妙に、そして繊細に織られ、見事な1本の太い糸となっていた。

 数年前から、滋賀の友人が何本も沖縄に関連する歌をテープで送ってくれていた。北海道にいる頃は、車に乗っている時は必ず流していた。
 しかし、東京で購入した車にはカセットレコーダーがなかった。じゃあCDで、といきたいところだが、道が不案内な私はナビのCDを常に入れており、歌を聴く余裕がなかった。

 テープで繰り返し聴いたあの心落ち着く歌が、関わった人々の想いの結晶として作られていた。それをゴールデンアワーで特集番組として放映できるのは、やはりNHKだけではないかと、そう私は思っている。
 もちろん、今、大いなる発見が続出している科学の分野でも、素晴らしい番組が多く、私はわくわくとしながらテレビに向かっている。

 



2005年01月16日(日) 天気:雨 最高:4℃ 最低:1℃


 あっと言う間に、古園組の犬たちは、先住の群れに仲間入りをした。
 大げさだが、『信じられな〜い!」と叫んでみたい気持ちだ。

 成犬と成犬、それも1匹対1匹ではなく既成の群れ同士、さらにどちらかの縄張りにおいてトラブルなしに合流をさせることは、かなり難しい事である。犬を詳しく知っている人は、最初から避けて通ることも多い。
 今回は特に心配もあった。それは古園組の核を為すグレートピレニーズのビアンカが、浜中の王国で長くトップに立ち、その60キロの身体で、多くの犬を抑えてきた歴史があったからだ。
 ビアンカによって傷を負った犬は数多い。さて、少し歳を重ねたとはいえ、まだまだ心体頑健なビアンカに対して、百友坊の犬たちがどのような反応を示すか、もちろんビアンカもどう威厳を保とうとするのか、それが気になり、そして楽しみだった。

 早朝、さりげなく古園さんは、寝たきりのボス5世以外の5匹を、建物の外に出した。
 その気配、姿を察知し、宿直の私とともに雑居館にいた犬たちが吠えながら飛び出して行った。
 互いに、匂いを嗅いだ。
 いや、圧倒的に数でまさる先住組が5匹の匂いを嗅いだとすべきだろう。

 ビアンカ、ボギー、ポチ、アスカ、シジミは、見事だった。
 無駄な動きを見せず、ひたすら相手が匂いを嗅ぎ終わるのを待っていた。そして、穏やかに、さらに的確に相手の匂いもチェックし終えていた。

 これで合流の基礎が築かれた。後は、個体別に相互の再確認をするだけだった。そこではうなり声も吠える声も発生せず、静かな確認が進行した。

 11月にカザフたちが来た時もそうだったが、穏やかな社会を築いた犬たちに拍手を贈りたい。
 そして、それを推進して下さったは、この連中に会いに来られ、声と手で温もりを伝えて下さった数万人のお客さんたちだと思う。

 強い感謝をこめて
 『ありがとうございます、またまた素晴らしい群れになりました!』
 と書かせていただこう。



2005年01月15日(土) 天気:雨 最高:3℃ 最低:0℃

 ボス、会う事ができて嬉しいよ! 投稿者:ウブ 投稿日:2005/01/15(Sat) 21:48 No.31335
返信
 
 昨年の春から、ボスは寝たきりだった。4代目までは10歳の壁を越えることができなかった。まあ短命な大型犬ゆえにしょうがないと思ってはいた。
 しかし、この5代目のボスは小柄な身体も利したのか、なんと15歳の正月を迎えることができた。
 昨夏、そしてつい先日と、面倒をみてきた古園さんからはボスの不調も聞いていた。果たして生きているボスとの再会が出来るだろうか、言葉には出さなかったが、そんな不安が私の心の中にあった。
 
 そのボス5世が、雨のあきる野に到着した。
 車の中で、ボスの正面に立ち、大声で名前を呼んだ。ボスは反応をしなかった。耳が遠くなって何年にもなっていた。
 それではと、私は手をボスの鼻先にもっていった。ボスの顔が上がり、白く濁った瞳が私の姿を探していた。
 2度、3度、ゆっくりとボスの頭を触り、頬を撫でた。10ヶ月ぶりのボスの感触、まだまだしっかりとしていた。
 写真・『ボス到着、検査の後』
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ボス・食欲は旺盛! ウブ - 2005/01/15(Sat) 21:50 No.31336

 これが、ボスの長生きの秘訣だと思う。
 美味しい物に対する執着、それが失われると、私たちは心配をしなければならない。
 
 写真・『ボス、あきる野での初食事』
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『チーム・古園』 ウブ - 2005/01/15(Sat) 21:55 No.31337

 かつては浜中王国のナンバーワンの群れだった。
 現在はボス5世、ビアンカ、ボギー、ポチ、アスカ、シジミの6匹群団になっている。ポチはたしか17歳ぐらい。白い巨体のビアンカも10歳をこえているはずだ。
 その老いた犬たちをアスカとシジミの1歳連中が励ましている。
 今日から石川百友坊の仲間、大きな社会で確実なポジションを決めてほしい。
 写真・『みんな、空腹だった!』

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 以上、掲示板への記載を転記
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 石川百友坊の仲間が増えた。
 ボス5世(S・バーナード)、ビアンカ(G・ピレニーズ)、ポチ(ミックス)、ボギー(G・シェパード)、アスカ(ボーダーコリー)、シジミ(パグ)。
 浜中の王国からの最終組、古園さんのグループだった。
 
 雪の心配が消え、冷たい雨のあきる野に着き、獣医さんによる検査を終えた後、暖房の効いた部屋に入った。
 すでに出来上がっている先発連中の群れ社会に、どのように組み込まれるか、そのために人間はどうアシストをするか、明日の犬たちの動きを見ながら判断して行きたい。
 でき得るならば、穏やかな社会再構築をと願っている。



2005年01月14日(金) 天気:晴れのち曇り 最高:8℃ 最低:−2℃


 サモエドのダーチャにはマーヤという娘がいる。
 今日、久しぶりにドッグランで再会をした。たしか2ヶ月ぶりのはずだった。
 私は、バタバタとしていてドッグランには短い時間しか入れなかった。それでも100メートルほど離れた所からチラチラと見ていると、他にもサモエドが数頭いるのにもかかわらず、ダーチャとマーヤの2匹は確認ができた。そして、独り言のように

 『あいつら、やっぱり親子だ!』

 と呟いていた。

 ダーチャは不思議なサモエドである。両親はともにフランスで生まれた。母親が我が家にやって来て、女房がダーチャと名前を付けた。そのダーチャは那須の王国に行き、そこでオスのレオンと結婚をした。その立ち会いをしたのが私であり、生まれたメスを1匹、我が家にいただいた。
 ややこしい話になるが、母親のダーチャのイメージが私にも女房にも残っており、当然のごとく名前はダーチャとなった。

 娘のほうのダーチャは、我が家で3度出産をしている。その子犬たちはどの子も母親に似て明るく、人間が大好き、特に人間の子供が好きであり、隠し事のできない表情豊かな犬になった。

 その中でも東京のM市に行った娘のマーヤは姿だけではなく、表情、声の様子が母親によく似ていた。飼い主のIさんご夫妻も、そんなマーヤを生地のままに育てて下さっており、実家の私たちもまるで母親と同じように、マーヤの引き起こす騒動を楽しんでいた。

 ようやくだが、日本でも手元に来た子犬の両親、兄弟等の情報が手に入れられる時代になってきている。これは純血種の犬を考える時、とても重要な事で、そこから次の世代の姿形を繋ぐ基礎が得られる。
 そして何より、犬を通して新しい親戚さんが増え、笑顔での会話が溢れる、それこそが嬉しい。

 Iさんは、帰り際、王国のショップに寄り、ダーチャの笑顔が付いている携帯ストラップを買って下さった。



2005年01月13日(木) 天気:快晴 最高:11℃ 最低:−3℃


 仲間の林くんと武田さんが結婚をした。
 休国日の今日、仲間たちで祝った。

 空はどこまでも青く、太陽は輝き、北風は姿を隠していた。

 



2005年01月12日(水) 天気:晴れのち曇り 最高:7℃ 最低:−4℃

 掲示板に質問をいただいた。ヘアレスに関しての事だった。パフ(有毛)で生まれたヘアレス系の犬の姿形はどのように、と聞かれた。その返事を転載しよう。
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 ヘアレス遺伝子は頑固! ウブ - 2005/01/13(Thu) 04:37 No.31232

 おば、、、おっと、おはようございます、でしょうか?!
 タブを小便に出した後、目が冴えて眠れません。そこでパソコンにたどり着きました。
 
 やすこさん、ゆるりんさん、素晴らしい疑問です。
 ととははさんが貼られているベコ、そして我が家のヘアレス犬のカリン、実の姉弟、それも父(サモエド・マロ)母(ヘアレス・カムリ)が同じにも関わらず、骨格が大きく異なります。
 
 これは、ヘアレスが出現する遺伝子の中に、単に毛を失うだけではなく、他の形質遺伝も含まれるためです。
 言い換えると、『無毛・骨格・欠歯・ヘアーフット』がセットになっており、それはとても頑固な遺伝子なのです。
 
 従って、どのようなパフタイプの犬種との交配をしても、ヘアレスタイプになった子は、すべてサイトハウンド系の姿、貧弱な歯を備えて生まれます。
 
 パフタイプ(有毛)で誕生した子は、ベコ、ジュウベエのように、思わぬ形で出現します。交配に影響している有毛の遺伝子によって姿が変化しています。それは父母だけではなく、祖父母の形質も関わっています。
 しかし、有毛連中の心と動きは、少しエキセントリックなヘアレス的性格をしっかり備えており、毛皮をまとったヘアレスと言えましょう。
 
 いつの日か、カリンそしてベコの出産を考えています。そうそう、2匹の妹になるキラは過日、結婚を済ませました。妊娠が難しいヘアレスですので、過大な期待は先に送りつつ、日々、腹を眺めています。
 様々な交配、出産を繰り返し、ヘアレスワールドを探っていきたいと思っています。



2005年01月10日(月) 天気:晴れ 最高:8℃ 最低:−6℃

 成人の日、素晴らしい青空に恵まれた。と言ってもこのところ同じ空が広がっているので天恵とは感じない。単にいつもの1日が過ぎただけだが、それでも今日、けじめの日を迎えた諸君には、心晴れる空だったろう。


2005年01月09日(日) 天気:晴れ 最高:10℃ 最低:−1℃

 
 ダーチャに特技が増えた。
 
 もともとお客さんが大好きなサモエドだった。さらに、犬には珍しく子供たちが好きな犬だった。入り口に子供の姿、声が出現すると、耳を倒し、尾を振り、嬉しそうに駈けて行くのが常だった。
 ダーチャは30キロの身体を白い毛で包んでいる。子供たちから見ると巨大な犬だろう、時に驚いて泣き出す子もいて、そのたびにダーチャは困った表情をして周囲の大人を見回していた。

 さて新しいダーチャの特技。
 これは北海道にいた頃からの体験を引きずっている。北海道では私も女房も1年中軍手をして作業をしていた。その手袋にはフードの匂いが染み付き、犬たちには美味しい物になっていた。
 特にダーチャである。彼女は人間の隙を狙い、味付き軍手をくわえて逃げ、そして食べた。
 
 「あっ、このウンコ、全部軍手だ〜!」

 そのウンコはダーチャの物と決まっていた。どこも破れてはいず、見事なウンコの形をして排出されていた。

 その文化が復活した。
 ダーチャはお客さんとして来ている子供たちの手袋を狙った。嬉しそうに近づき、時に子供たちの顔をぺろりとなめ、その後で素早く手袋をくわえた。

 「あ〜っ、手袋を取られた、あっ、食べちゃう!」

 数度、そんな騒ぎを治め、私は宣言した。

 「ダーチャ、禁固6時間!」

 百友坊の中央、必ずメンバーが見ていられる所にダーチャを繋いだ。
 こんな事でダーチャはめげない。笑顔に惹かれて寄って来られたお客さんに耳を倒し、最高の歓迎を示していた。
 幸い、「手袋〜!」との叫びは聞こえなかった。明日も禁固刑になるであろうダーチャ、実にいいやつである。



2005年01月08日(土) 天気:晴れ 最高:8℃ 最低:−4℃

 夕方、お客さんの姿が消えた頃、女房がネコ用の食器を抱えてタブの子犬たちの所に来た。

 「あげてみようと思うの、、、、」

 中にはふやかしたドライフードと犬用の缶詰、そして牛乳が加えられた、どろどろの離乳食が入っていた。

 「まだ早いと思うよ、今日で19日目のはず、昨日はまだ歯が出ていなかったよ」

 おそらく誰も口にしないだろう、まだミルクだけの時期だろうと私は思っていた。
 
 「大丈夫よ、何てったってラブラドールなんだから。絶対に食べる!」

 女房は自信ありげに宣言し、箱の中央で丸く固まっていた子犬たちの横に食器を置いた。

 時間にすると数秒だった。
 黒毛のメスが匂いに気づき、前足を食器の中に入れた。
 そして、待っていましたとばかりに口を開け、吸い込むようにしてフードを食べ始めた。
 その音、匂いを察知し、次々と子犬たちが食器に向かい、口を付け始めた。

 「これって新記録だよね、こんなに早く食べたのは、、、」

 小さな食器は、すぐに空になってしまった。女房も、まさかこれほど人気、よく食べるとは思わなかったのだろう。

 「あら〜、凄い、凄い、これでどーんと大きくなる!」

 嬉しそうな女房の声が暖房の効いた部屋に響いた。

 いつまでも食器の底を探っていたイエローのオスを私は抱き上げ、口の中に人差し指を入れた。もごもごと舌を動かし、吸い込もうとした。
 
 「あっ、歯が出てきた。ほらっ、、、、!」

 犬歯、そして門歯が私の指にかすかな存在を伝えてきていた。
 13匹の子犬たち、順調に成長している。
 



2005年01月06日(木) 天気:曇り 最高:3℃ 最低:−2℃


 予報に反し、何とか夕方まで雨らしい降りはなかった。しかし、陽光が出てくれないと気温は上がらない。何となく人間の背は丸くなってしまう。
 それに反して生き物たちは元気、犬も寒さに弱いはずのネコもいつものように動き回り、ウコッケイは卵を産んでくれた。

 タブの子犬たちが4本の足を使って上手に移動をするようになった。これまでは這いずり回り、それも円運動が基本だった。その理由は簡単である。目の開いていない時期、直進してしまうと、運の悪い子は巣の入り口から外に出て天敵の餌食になってしまうからだ。
 足がしっかりし、視力も備わってくると、動きにある程度の方向性が確保できる。したがって目的の場所(例えば母犬の乳首)に効率的に近づくには直進が有利となる仕組みだ。

 さらに子犬たちにとって新しい時期がやって来ている。
 それは『ようやく子供』となる・・・と言うことだ。
 極端に言うならば、誕生から2週間と少しは、母犬にとってうごめく子犬は、子であって子ではない。
 要するに、『匂い』『体温』『大きさ』『動き』などにより、母性を出現させる刺激を与えてくる物体であり、母と子の絆とは無縁な関係である。

 だが、子犬が4本の足を使って歩き、様々な条件により声による主張(イヤダ、嬉しい、欲しい、、、等々)を始めるようになると、母犬はようやく我が子としての認識をする。いやなことをされた時にリアクションを出すことができて初めて『子』となる、とも言える。
 
 この数日、その大変化の時期を見つめ続け、様々な面白さを13匹とタブからもらっている。これこそ乳父冥利だろうか。
 



2005年01月03日(月) 天気:晴れ 最高:8℃ 最低:−4℃

 昨日、芝生の広場で犬ゾリが走った。
 チューレとリュート、ハスキーのテツの孫になる彼らが、嬉しそうに白い大地を駈けた。
 
 今日も、、、、。
 そう思って早朝に広場を見渡した。無念、雪はまばら、1日で枯れた芝が顔を出し、北の雪原で活躍をしていたソリは展示に回ってしまった。
 
 昨日のテレビをご覧になった方も駆けつけてくれた今日の王国、たくさんの方々が寄って下さった。
 福島の方が笑顔で声をかけて下さった。大阪弁の親子さんがいた。福井のご夫妻が帰路の途中で寄って下さった。函館の方と北海道の話で盛り上がった。そして、我が家のごく近所の方が来て下さった。アパート周辺の昔話をお聞きした。

 そしてそして、たくさんの子供たちが犬と遊んでくれた。馬に乗ってくれた。つきたてのキナコ餅を美味しいと言って食べてくれた。甘酒をお替わりしようとしてお母さんに止められていた、、、。

 あきる野に満ちた笑顔を、今日も私の元気にさせていただいた。
 
 ありがとうございます。


 さて、12月20日に出産をしたラブラドールのタブの子犬たち、13匹は順調に育っている。
 400〜500グラムで生まれた連中が、今日、2匹1キロを超えた。そして目が開いた子も3匹、明日にはみんな開眼かも知れない。
 今回も、育児箱の周辺は賑やかである。子犬指導係のネコのニャンコロベーやカール、ミンツは横のベッドで眠り、犬のカリンやミゾレも育児箱の周辺でゴロンとしている。
 そんな光景を、母犬のタブは気にせずに、おおらかな育児をしている。

 「この13匹、番犬には絶対になりませんが、どの子も元気で、人間、犬が大好きな子になりますよ、、、、!」

 私は、すぐ近くで見守り、声をかけて下さっている皆さんに、そう話している。



2005年01月02日(日) 天気:晴れ 最高:7℃ 最低:−4℃

 すっきりと冷えた。解けかかっていた所が凍りつき、アイスバーンの箇所で犬が転んでいた。

 新年初めての王国オープン、たくさんの方が来て下さった。
 足下に気をつけながらの展開となったが、思わぬ雪上でのソリ犬の疾走、餅つき、甘酒と、正月らしい王国となった。

 雪にサモエドと言えば白とまとまるのが通常だが、我が百友坊のサモエドは、いつもにまして灰色。嗚呼、何故に雪があるのに穴掘り遊びをするのかと、新年早々に嘆く私だった。



2005年01月01日(土) 天気:晴れ 最高:6℃ 最低:−3℃


 2005年
 真っ白な光景で新しい年が明けた。
 まるで北海道、犬たちだけでなく、ネコまでもが陽光に輝く白い絨毯の上に出ていた。
 
 大きな変化の1年を終え、新しい年、ただただひたすらに前を向き、そして笑顔でと思っている。

 王国は運動体である。
 そして多くの皆さんに応援をされ、そのパワーをいただいて動いている。
 感謝を胸に、皆さんとともに歩いて行きたい。

 新年、おめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。