日記
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2008年 3月 29日 (土) 01:25

期待を担って
by ubu


 エニセイの8匹の子犬たちは、生後55日となり、順調に成長している。毎日、外に出られるのが、彼らには大いなる楽しみのようで、天候をみては逡巡している飼い主の優しい心遣いは無視し、朝早くから、
 
「餌は食べたから、早く、ワン(出せー)、ク〜ン(外に行きたい!)、ワン、ワン」
 
 と、賑やかな吠え声を出し、私の楽しみであるチリトテチンの邪魔をする。最終回が間近だというのに、、、。

 そんな8匹が7匹になった。
 オスが1匹、私の尊敬するブリーダーであり、我が家のサモエドのメス犬系(ウラル、ベラ、ラーナ等)の実家でもあるkさんのところへ行った。
 
 その子は、いわゆる種オスになる。将来、多くのメス犬との結婚をするのである。
 実は、kさんの所には、ラーナの母親が17歳で元気に暮らしている。12月には、その母犬とラーナが再会することができた。

 そしてラーナの娘、エニセイから生まれたのが、将来、たくさんの子犬の父親になるであろう、今回のオスっ子である。
 どの子にするか、5匹のオスの中から、私なりの見方で選んだ。
 この子はマロの血を継ぎ、さらにニッキの血を重ね、そして祖母のラーナのラインを維持するために里帰りをする。

 おそらく2年後には、確実に父親となっているだろう。
 それを楽しみに、他の7匹よりは少し早くワクチンを接種(いわゆる捨てワクチン、この後、2回打つことになる)し、英才教育のために旅立った。
 
 空港でおしっこをさせようと下ろした時、私の足元から離れようとしなかったオスっ子。
 
 「だいじょうぶだよ、すぐにまた会えるよ、地続きだから、、、」

 残された子たちの旅立ちも、あと20日後には始まる。
 
 


2008年 3月 24日 (月) 21:30

心の歌声
by ubu

 ようやく、午後、ネコの本を書き終えた。読み直してみると、あれも、これもと不満は残る。しかし、これもひと区切り、とにかくほっとした。
 
 夕飯を食べながら、いつものようにニュースを視ていた。終わっても「チャンネルはそのまま」、どこの局のコピーだったかは忘れたが、面倒なのでそのままNHKにしていた。
 
 ドキュメンタリーが始まった。白血病で夭折した歌手、本田美奈子の闘病の中で生まれたドラマを辿ったものだった。
 私は、トイレに行くことすら我慢し、8時43分まで画面に釘付けになってしまった。
 彼女は厳しい闘病生活の中で何曲も、ある作詞家の書いた歌を病室で歌っていた。もちろんアカペラで、、、。
 
 それは小さなレコーダーに収められていた。
 録音された歌がどうなったのかは、まだこの番組を視ていない方のために、ここでは書かない。きっと再放送があるだろう、いや、しなきゃいけない番組である。
 
 私が食卓を離れられなかったのは、急性骨髄性白血病と闘う方の辛さを、ちょっぴり知っているからだ。
 その心象を、彼女の歌のバックになっている映像が表していた。 
 淡々と、、、。
 
 このような映像処理は、まず、今の民放では不可能かも知れない、動かず、ミディアムで、、、。
 そんな事を思いながら、私はひたすら映像を見つめた。

 小さなからだ、細いからだから紡ぎ出された彼女の歌声は、独特の澄み切った響きと高音の伸びを保っていた。
 しかし、ぎりぎりの歌唱であることは、レコーダーに拾われているブレスの音が示していた。
 でも、彼女は健康でも難しい歌を、滅菌された部屋で、ある想いを込めて熱唱していた。

 私は、彼女にプロの凄さを感じた。
 それは作られたプロではない、誰もが認めたプロ魂だ。
 
 あっと言う間の73分、飲み忘れていたビールは泡も消え、生ぬるかった。
 私は一気に飲み干し、膝のネコを下ろした。

 エンディングで番組製作者のクレジットが流れた。
 懐かしいお名前をふたり、確認できた。
 プロデューサーのNさん、音響のkさん。
 「ゆかいな仲間たち」を支えて下さった同志の方たちだった。

__________________________

 写真は番組とは無関係です。
 5年前、初めて庭に出たバンドリくんのヒナたちと、奥に、やはり見事な闘病を見せてくれたマロ親分です。


 
 


2008年 3月 20日 (木) 00:13

康太、駈けよ!
by ubu

 生後70日過ぎから、サモエドのパエルの子犬たちが、それぞれの飼い主さんの所に旅立ちを始めた。このところの暖かさで、外のサークルの雪解けが進み、初めてのシャンプーをしても真っ白にはならず、なんとなく黄ばんでいるが、それも元気な証拠とさせていただこう。
 パエルの子が8匹、そしてほぼ1ヵ月後に生まれたエニセイの子も8匹、合わせて16匹が我が家の狭いリビングで成長してきた。我が家でサモエドが出産をするのは20回を超えていると思うが、こんなことは初めてであり、嬉しい忙しさを続けている。
 
 それぞれの子の行き先は決まっている。私の掲示板などの写真を見て、その成長ぶりに安心するとともに、
 
 「名前を決めました、いつ、我が家に、、、?」

 と、待切れぬ気持があふれたメールが、本州の春便りとともに届いていた。
 
 今回の16匹のうち3匹は、実は以前、我が家で生まれたサモエドを飼われていた方の所へ行く。この数年の間にその犬が死に、どうしても次のサモエドも、、、と予約をされていた。
 1匹はマロの息子、残りの2匹はマロの跡を継いだカザフの子だった。
 天寿にせよ、無念の死にせよ、遠く離れたところで我が家出身の犬を可愛がってくれた皆さんは、辛い気持の中でも、実家の我が家に報告を下さる。私は、ただただ「ありがとうございました」と声をかけるしかない。
 その辛い会話の時に、3人の方は、
 
「ぜひ、次もサモエドを、石川さんのところで生まれ、育った子を家族にしたいんです、お願いします、、、!」
 
 と、言われた。
 私は出身の子が死んだことよりも、その言葉に感激し、涙した。
 世の中の愚か者は、
 
 「前のコが死んだ間もないのに、また犬を、それも同じ種類を飼っている、可哀想だよね、前のコが、、、」
 
 などと、陰口を堂々と公言し、陰口の立場を危うくしている。これがイケナイ事ならば、連れあいと死別した人間は絶対に再婚できないことになる。
 
 話は飛ぶが、同じように涙した事件があった。
 飲酒運転の車の体当たりで冷たい海に突き落とされ、一瞬にして3人の子供たちを失った福岡の御夫婦が、裁判のニュースなどの画面で、誕生した新しい命、赤ちゃんをともなって辛い会見をされていた。過日の地裁の判決にはおおいに疑問、怒りをもつ私だが、あのご夫妻の姿、人生に向われる姿勢には涙をとめることができなかった、、、。

「あのコは本当にいいコでした。近所に小学校があり、毎朝、子供たちが通るんですが、それを楽しみにしていて、みんなに可愛がられたんですよ。死んだと知って泣いてくれた子供もいました」
 
「近所の犬たちと、とても仲良しで、いいおお兄ちゃんでした。みんな寂しいって言ってくれます、、、」

 ・・・だから、すぐに次のコを家族にしたい、そうすれば死んだコがくれた笑顔が、楽しい暮らしが継がれる気がします。何より、犬を失った悲しみを乗り越えられる・・・そう、皆さんが言われた。
 
 私は喜んで予約ノートにお名前を記入し、ラーナ、ダーチャ、アラル、そしてパエル、エニセイ、アリーナたちに期待をし続けてきた。
 
 今回の3匹のうち、すでに『康太(こうた)』と名前が付けられているコの場合は、少し事情が異なる。
 先住犬のマーヤを可愛がって下さっていたKさんは、2年前、いや年が変わったので3年前、2匹目のサモエドの予約をされていた。マーヤが天真爛漫、まだまだ元気なので気長に待ちます、との言葉だった。
 しかし、命の道は先が判らない。2月のはじめ、マーヤは得意の駈け足で、行かなくてもいい空の上に繋がる道を間違って選び、駈けていってしまった。
 パエルの子犬が生後1ヵ月となり、私は予約名簿を前に順番に声をかけ始めているところだった。もっとも長く待たれていたTさんの家にはオスが行くことになった、ルークと名前を付けてもらった。次いでメスがNさんの家に決まった、先住犬のコーギーと楽しいコンビになるだろう。
 
 Kさんの名前は上から3番目にあった。
 私は逡巡した。女房が後ろから私を押した。

 「子犬が涙をなめてくれるわよ!」

 「そうだよね、何を私が悩んでいるんだろ、愚か者は自分だ!」
_______________________________

 マーヤの49日が過ぎた日、Kさんが名前を決めた『康太』は東京に行く。
 
 西多摩の地、早い桜が咲いているだろうか。
 先住犬のアリスと悠太は、康太を可愛がってくれるだろうか。
 3匹のネコたちにも歓迎されるだろうか。

 Kさんの大きな声が、マーヤの暮らした家に、部屋に復活することを、私と女房は心から願い、パエルっコの最後の1匹として、笑顔で飛行機に乗せる。


2008年 3月 15日 (土) 02:34

雨の夜にいろいろと、、、。
by ubu

 夕方から雨になった。
 
 予想気温から、湿った雪か、それとも雨か迷うところだった、、。私は雪を望んだのだが、まあ、期待は外れるものとあきらめよう。
 しかし、これでほとんどの雪が消えるだろうが、雪の少なかったこの冬、大地の表面はツンドラ様に凍っており、降った雨と融けた雪は行き場がなく、土の上に溜まり、すべてがぐちゃぐちゃとなるだろう。ようやく生後40日となったエニセイの子犬たちを白い大地で遊ばせたかったが、新たな降雪がないかぎり難しくなった。

 昨日、6匹目のパエルっコを東京に送った後、女房がめまいと頭痛、そして吐き気を訴え、そのまま布団に入ってしまった。

 「ひょっとすると、今年初めて布団で寝るのかも知れない、、、」

 なんと言っていたが、実際、年末にパエルが出産をして以来、女房は深夜の1時から翌朝まで、リビングの産箱の前に毛布を敷き、その上で付き添いをしていた。集まってくるネコの温もりと床暖房で、けして寒くはないが、着替えるわけでもなく、やはり身体にこたえるだろう。
 私もけして夜勤をしないわけではない。午前1時までのあれやこれやを担当し、その後、書斎というのは名ばかりのゴミの部屋にこもるために、女房と交代をしている。

 今朝、私が起きる前に、いつものように女房は賑やかな子犬たちに餌を与え、汚れた箱の中を掃除していた。
 ふたりとも四捨五入をすれば60となる歳になってしまったが、まだまだ女房は生き物扱いの現役のプロだと、本人に言いはしないが、密かに感心している。ありがたいことである。

 このところ、私はネコの本の原稿で頭の中が忙しい。すでに締め切りが過ぎているが、いざ、パソコンに向うと、膨大なネコとの付き合いの記憶が蘇り、その整理をするのに時間がかかっている。いかに省くか、それを考えると、そのエピソードのネコに対する裏切りのような感じがして、何とか詰め込もうとするから進まないのだ。
 
 昨日、そんなことを考えているうちに解決案が浮かんだ。いつか、また書けばいいのである。何と簡単ことであろうか。
 これ以上、編集の方に迷惑と心配はかけられない、時間あるかぎり、ゴミの部屋にこもり、ネコを書かなければ、、。

 あと1ヶ月で1歳になるサモエドのアリーナが、金魚の糞になっている。相手は、自分で望んだわけではないのに、いつの間にか群れのトップに立っていたレオンベルガーのカボスである。
 朝、フリーになると、アリーナはカボスに挨拶に向う。その後、我が家を囲む林のあちらこちらを確認し、馬糞が落ちていれば、朝飯のかわりに食べようとするカボスの後を、アリーナは嬉しそうについて行く。

 アリーナは少し気が弱い。他の犬の鋭い動きがあると、自分が対象になっているわけでもないのに、しっぽを巻き耳をたおして全ての犬に恭順を示す。
 しかし、カボスは常にゆったりと動く、駈けた時も、身体が大きいのでスローモーションのような感じになり、威圧感はない。
 それがアリーナを安心させているのと、もうひとつはカボス親分の横にいれば、他の犬にいじめられないのもあるだろう。
 ちょっと臆病なアリーナの処世術、見事である。

 午前2時33分、雨の音が小さくなった。
 収まってきたのだろうか、それとも雪に、、、。

 今日もまた、静かに夜はふけていく。

 

 

 
 


2008年 3月 2日 (日) 01:15

ひとかけらの肉
by ubu

 我が家のキツネたちの餌は、息子の弦矢が与えている。息子は毎日、「牛(ギュウ)の切り出し」と呼ばれている生の内臓肉を細かく切り、ドッグフードやチーズとともに食器に入れ、キツネ舎に通っている。
 台所で肉を切る作業の準備を始めると、必ず寄ってくるのがネコのミンツと銀、そしてルドだった。特にルドは、我家の主力部隊が4年前に東京に移転してから、息子と1人1匹の暮らしをしてきたので、かなり強い関係ができていた。4、5歳の時に耳が聞こえなくなったルドは、まるでオスネコを呼ぶ発情期のメスのような大きな声で鳴き、息子に「腹が減った」「トイレが汚い」「部屋でいっしょに寝かせろ」「外に出せ」「牛切りを一切れよこせ」と要求していた。
 
 牛の生の内臓肉(ぬるぬるの胃液、腸液もついている)は栄養豊富である。キツネたちにこれを与えるようになってからビタミン不足によるチックなどの病気はなくなった。さらに嗜好性が高いので、体調を崩した時や、心理的に落ち込んでいる時に効果があった。
 その美味しさ、つまり栄養に満ちた味を知っているので、ネコたちも何とか口にしようと息子の包丁の動きを見ながら狙っていた。

 毎回、少なくとも5切れは息子に貰っていたルド、若い時は7キロもあったタ−キッシュバンキャットだった。彼は3年前から重いてんかんを起こすようになっていた。獣医さんに処方してもらった薬も効かず、息子は、ただただ撫でることしかできなかった。

 そのルドが3日前に、息子によるとこれまでで最大の発作を起こした。収まった後もいつものような立ち直りはできず、食べることも飲むことも困難になった。それでもネコとしての矜持だろうか、ふらつきながらもトイレに行き、砂の上で大小便をしていた。

 そして今日、朝から立ち上がることも不可能になった。
 輸液は行なっていた。しかし、若い子ならともかく、老いたネコではあまり期待できないことは、たくさんの経験から私も女房も分かっていた。2人とも言葉には出していなかった、しかし、互いに最後を覚悟していた。

 午後、息子はいつものように切り出しをカットし始めた。邪魔をするのはミンツに銀だけであり、ルドの姿はまな板の近くにはなかった。
 今日の餌のぶんを切り終えた息子は、いつもより細かくしていた肉片を、暖かい床暖房の上で寝ていたルドの口の前に持って行った。ルドは少し首を上げ、息子を見たが口は開かなかった。
 
 1時間後、ルドの前から肉片は消えていた。
 
 さらに1時間後、ルドに痙攣が始まり、小便とともに口からも吐き戻しをした。透明な液体とともに1切れの肉片も出て来た。

 そして5時間、ルドは穏やかに15歳の一生を終えた。
 
 これで厳しい発作からも解放されただろう、これでいやな耳の治療もされないだろう、これで東京で死んだ兄弟のレオと再会できるだろう、、、。
 
 眠っているようなルドの顔に、私は小さく「ありがとう」と告げた。

 それにしても、一昨日からなにも口にしなかったルドが、全身の症状が悪化していたのにもかかわらず、なぜ今日、肉片を飲み込んだのだろう。
 
 私には晩年をともに暮らした息子への、ルドのある確かな返事に思えてならない。











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