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2008年 2月 28日 (木) 03:08

皆さん、ありがとうございます
by ubu

 生き物たちとの暮らし、そこには誕生の喜びだけではなく、必ず永遠の別れもあります。
 どんなに死を経験しても、けして慣れることはありません。その子、その子の歴史、重ね合わせた時間の塊が、ウブの心を掴んで放しません、、、。
 でも時計の針は動き続けています。立ち止まったり、振り返えったり、と言う猶予はありません、パエルっ子は「腹減った〜!」と叫び、エニセイはネコの餌を狙っています。
 ウブ、またいつのもように歩き始めます。
 
 昨日は、雪の降りこそたいした事はなかったのですが、強い北風に地吹雪き状態でした。そんな中、娘夫婦が東京から車で来ました。親に習い、北海道での暮らしを始めるようです。これでウブのサッポロでの立ち寄り先が増えました。
 
 遅くなりましたが、皆さんに御礼を、、、。
 
 りきしゃ〜ん(ムツさんの講演会オフ、ありがとうございます)、パンジャさん(レオ、ラーナのぶんまで頑張れ〜!)、よしりんさん(最後まで可愛いやつでした、ラーナは)、ゆきさん(良き母でした、、、)、雹男さん(そうでした、短い時間でしたがアリーナには兄弟がいました)、さくらママさん(空の上の白い犬たち、増えましたね、、、)、これみつさん(先日、可愛がっていただいたばかりなのに、、、ありがとうございました)、ヒポさん(ラーナへの花の写真、ありがとうございます)、がっちゃん(高知から中標津、、、お待ちしています、ラーナの墓にタンポポでも供えてやって下さい)、マミィさん(可愛い髪飾り、ありがとうございます)、さ〜や。さん(たくさんの子供、孫たちがラーナ魂を継いでくれますね)、さつきさん(そうでした、移動の朝、あいつは返事をしてくれました、、、)、こはちゅママさん(本当に周囲に優しさをふりまいてくれました、ラーナは)、mizuさん(ふっくらラーナの写真、ありがとうございます、コボ、アリーナは最後まであいつの子供でしたね、、、)、小泉光昭さん(いつも優しい言葉と優しい手ぬくもり、、、ありがとうございました)、小泉和昭さん(そうですね、もう血糖値を計る針とな無縁ですね、アンパン、1コ全部食べていいよ〜ラーナ!)、こすもさん(もう一度、皆さんに触っていただきたかった、、あいつはきっとゴロンとして腹を見せたでしょうね!)、ちょんこじさん(あははは、眠む気の写真ですね、ありがとうございます)、利樹&メイさん(すみません、北海道で息子、娘と再会するのが叶わぬこととなりました、、、)、 びあ・みづき・そうかさん(いつも優しく声をかけて下さり、撫でていただき、本当にありがとうございました)、かわいねこさん(可愛い写真、ありがとうございます。3匹で期待いっぱいの姿ですね、、、やっぱりラーナは天使の顔だちです)、クリン父母さん(無念な結果になりました。申し訳ありません。クリン、北海道でお母ちゃんと会えなくなっちゃった、、、)、ぷぅママさん(心の端に、ラーナを置いていただけたら嬉しいです、ありがとうございました)、やまりんさん(台所の前ですね、あいつは食べ物のありかを全て知っていました。病のためにコントロール食、でも懸命に、そして豊かに生きてくれました)、ちょびんさん(バンダナ、ありがとうございました。似合ってました、、、!)、YHS-Fさん(12月、恵庭でサラムと再会できたこと、何よりです、ありがとうございます)、秋田のなおみさん(そうなんです、あいつは病が進んでもコボやアリーナ、そして私たち人間に優しい子でした、本当に素晴らしいサモエドでした、、、)、うえはらさん(いつもいつも心に留めていただき、感謝申し上げます。ラーナ、雪を舐め、雪を食べ、嬉しそうでした)、きょうたクン(突然の変調でした。無念です。あきる野ではいっぱいの世話、ありがとうございました)、夢さん(夢狗と再会が叶わず、残念です。でも子供、孫たちが元気でいれば、ラーナも喜ぶでしょう)、マリリンの母さん(本当に眠るような最後でした、天寿だと思います)、チームはる♪さん(たくさんの応援、本当にありがとうございます。サクラ、タンポポ、、、匂いを嗅がせてやりたかった想いは残りました、、、)、ヒロチ&ユウジさん(貼っていただいた写真、ウブ、自分が写っている写真の中でもお気に入りの1枚です、ありがとうございます)、ぽちちさん(そうでした、ラーナは石川家でもっとも多くのモフモフを見せてくれた母親でした)、ますおさん(マロ、カザフ、ベルク、カリンたち仲良く天上百友坊を構築していると思います)、himikoさん(ふっくら母ちゃんの写真、ありがとうございます。あらためて見ても、やっぱり美人ですね)、翠紅さん(25日、おつき合いできず、申し訳ありません、ラーナ、ウブ家の人間以外で、最後に会い、撫でてもらったのは翠紅さんになりました、ありがとうございます)、アカリ父母さん(恵庭での祖母孫娘対面、きっとラーナも雰囲気で感じていたと思います。ありがとうございました。書かれているように、あらためてラーナには一歩一歩の時の流れだったと感じます)、りんごさん(こんな無念な報告をすることになりました、たくさん可愛がっていただき、ありがとうございます)、ベルタつうしんさん(はいっ、ベルクとつるんでいたずらをしているか知れませんね)、ぷさん(小さくも偉大な母でした、ラーナは。セラ、元気でね、お母ちゃんの1.5倍以上、いたずらの日を送ってね!)、ちかっぴさん(そうなんです、あいつの周囲には常に優しさがありました、、、)、ふっくりんさん(素晴らしい写真、ありがとうございます。あいつの心が写ってますね、見つめる対象は何だったのだろう?)、山中ロコさん(いつも撫でてくださり、感謝申し上げます)、ホリ みっくさん(ラーナの瞳、健常な頃も、白内障になってからも、その可愛らしさは変わりませんでした)、まぁ坊さん(若い夫のオビとの2ショットも、もう撮ることはできません。でも、私の心の中にはいつも見つめてくるあの瞳があります)、きたじさん(目が不自由になってもラーナは耳と鼻で十分に生きてました、凄いコでした、、、)、みかんママさん(たくさんの子供を産み、育ててくれました。最高の母さんだとウブも思います)、ふくろう&つんさん(奥はアリーナでしょうか、貼っていただいた写真のラーナ、いい顔ですね、ありがとうございます)。
________________________
 ふきこさん(御無沙汰です。ラーナ、残念ながら旅立ちました。あきる野ではいっぱいいっぱい、ありがとうございました! 司〜、隊長は体調をこわしちゃだめだよ)
________________________
 
 SALLYさん(優しく、しっかりした母親でした、ラーナは)、Chihiroさん(生前にイラストに描いていただき、ありがとうございます)、ぶんめいどうさん(カステラとの再会ができなくなりました、、、)、アルムさん(そうです、そうです、寄ってきて背を向ける、、、最高の甘え挨拶も得意でした!)、 てる&ちはる&かいせいさん(最後は駈け足で去って行きました。北の故郷の様子をマロたちに伝えているかも知れません、、、)、ぺろこさん(安心の所としてウブやウバを選んでくれたラーナ、最高の犬でした!)、カオルさん(あきる野で可愛がっていただき、ありがとうございます)、まりんみるきぃさん(ひとかけらのマンジュウ、ありがとうございます。ウブもコボにアンパンをあげる時、ほんのちょっぴりラーナにあげました。とても嬉しそうな顔をしていました、、、)、HERO さん(石川家のサモエド群団の偉大な母だと、ウブも思います。今は自由に食べ、下界の子供たちを見つめていると思います)、サミー&あやちゃん(あやちゃんの小さな時の思い出にラーナがいること、とても嬉しいです、ありがとうございます)、かずさん(ほんとうに頑張ってくれました、ウブは今、感謝でいっぱいです!)、メロディーママさん(アリーナ、最後の子、、、これもラーナの残してくれた最高の宝物です)、ととははさん(マロとの結婚は叶いませんでした、、それが心残りです)、チッチさん(12月14日、いっぱい話をして下さったのですね、ありがとうございます)、ちょんぼさん(これまでのたくさんの応援、ありがとうございます。恵庭での3代記念写真、良き思い出になりました。ワンの発売を待ってラーナは旅立ちました。母親のチャーミ、17歳を無事に乗り越え、20歳を目指してほしいものです、、、もちろん、権次も!)、ともりさん(のんのたちの育児風景を御存知なんですね。ラーナ、6度の出産、すべて素晴らしいものでした)、ノエルくん(お母ちゃんのちょびんさんを慰めてね、ボクは長生きするよって言ってあげてね)、Maki&Daiji さん(障害は個性、、、と誰かが言ってました。ふたりのお子さんたちが、普通にラーナに向き合ってくれたのは、あいつにも最高の喜びだったと思います。ありがとうございました)、樹里ママさん(北の故郷で、仲間たちが落ちつくのを待っていたかのような旅立ちでした、最高の犬でした、、、)、 たこし&タコシの夫さん(すみません、来て下さる日を待たず、駈け足で去って行きました。8匹の孫たちを可愛がって下さい!)、とらさん(そうでした、どんな状況でも笑顔と瞳の愛らしさは不変でした、、、)、せんたろうははさん(あきる野での最後の写真ですね、ありがとうございます)。
 
☆ラーナに心からの言葉を寄せられた皆さんに、まとめて返信を書かせていただきました。途中から目がよれよれ、、、誤字脱字だらけかと思います。御容赦願います。
 本当に、本当にありがとうございました。
 あきる野でいただいた皆さんの手と声のぬくもり、ラーナはけして忘れないと思います。


2008年 2月 26日 (火) 01:50

ありがとう、ラーナ
by ubu

 サモエドのラーナに初めて会ったのは、札幌のデパートで開かれたペットのイベント会場だった。私は、そこで犬やネコの素晴らしさ、それを家族にできる人間の幸運などを、実際に犬を使って話していた。
 友人でサモエドの繁殖家でもあるKさんがイベントのプロデューサ−、展示のために1匹のサモっ子を会場に連れてきていた。
 ムクムクの白い犬、そして常に笑顔のサモエド、それの生後5ヵ月ほどの子犬、、、。
 これで人気が出ないはずがない、会場のその一角は常にお客さんが立ち止まり、ちょっと小柄な子の笑顔に、可愛いとの声が満ちていた。

 5日間のイベントが無事に終了した夜、私がサモっ子と遊んでいると、近づいて来たKさんが私に言った、

 「その子、連れてくかい、いいよ、あげるよ。さあ、お前はお姉ちゃんの所へ行きな、、、!」

 5日間、たぶん私のよだれが出そうな表情をKさんは見ていたのだろう。Kさんの気が変わらないうちにと、あわてて返事をし、姉のウラル、ベラが来ていた我が家に、その5ヵ月の妹も来る事になった。

 中標津の我が家で、そのサモエドには女房が「ラーナ」と名前を付けた。サモエドたちはなるべくロシアに繋がる名前を選んでいた。ラーナは「ウクライナ」を意識し、何よりその響きがロシアっぽくて私も気に入った。
 
 本来、ラーナはマロ親分の9匹目の側室になるはずだった。しかし、マロはボス的な行動はしていたが、その頃、オスとしての活躍は終えていた。
 そこでラーナはマロの息子、カザフの嫁になった。さらにフランス系のレオとも結ばれ、同時にラブラド−ルのセンとも結婚をするという離れ業も見せてくれた(同期複妊娠)。
 そして東京ではカザフの息子のオビとの間にも3度の結婚を成就してくれた。
 
 20匹を超えるラーナの子供たちは、全国各地で母親譲りの笑顔を振りまいている、いや、多くの人々との笑顔の輪を作っている、と書くべきだろう。
 飼われている皆さんの輪も大きく広がり、そこにはなんとも言えない穏やかな和がある。

 私も女房もラーナからは、たくさんの幸せをもらった。晩年、糖尿という病を抱え、視力が落ちてしまった。しかし、ラーナは私と女房の声を頼ってくれた、その匂いを嗅ぎ当ててくれた。

「ありがとう、ありがとう、お前がいてくれた10年、いろいろあったけれど、ばたばたもしたけれど、本当に楽しかったよ、そしてたくさんの子犬をありがとう、みんないい子だよ!」

 もともとけして大きな犬ではなかった。体重は22キロ、メスとしても小柄だった。しかし、顔だち、耳の形と位置、そしてなにより笑顔が素晴らしい犬だった。まさにクリスマス犬だった。

 夕方になっても、私は呼吸を留めたラーナをリビングの床に敷かれた毛布の上に横にしておいた。
 その脇に置かれた大きな木箱の中には、初めての育児をしている娘のエニセイがいた。そして8匹の孫たちがエニセイの体にくっついて眠っていた。

「ほらっ、聞こえるよね、孫たちの寝息、、。お前がいたから、この子たちがいる、そしてこの子たちに笑顔をもらう人がいっぱいいるんだよ、、、、ありがとう、ラーナ、そしてグッバイ!」

 元気な犬たちの餌や散歩を終え、リビングのラーナの横に転がり、ぶつぶつと独り言を言う私の声を聞き留め、エニセイが箱から出て来た。
 母親の移動に抗議をする子犬の声が響き、エニセイは一瞬、箱の中をのぞき子供たちの安全を確認してから動かぬ母親に近づいた。
 エニセイは鼻を寄せ、ラーナの顔を中心に、何度もなんども匂いをかいでいた。

 玄関のチャイムが鳴った。
 街の花屋さんが白い花を中心とした大きな花束を届けてくれた。
 全国にいるラーナの子供、孫たちからだった、、、、。
 女房が花をラーナの横に置いた。
 エニセイは母親から鼻を離し、顔を空中に向けて差し上げ、一瞬にして部屋に満ちた花の匂いをかいでいた。
***************************

 2008年 2月25日、ラーナ、10歳と9ヵ月の見事な一生を終えました。
 大勢の皆さんからの応援、お見舞いの言葉、ありがとうございました。
 
 最後の最後まで、私と女房の呼ぶ声が聞こえた時、差し出した手を鼻で確認した時、毛がとぼしいしっぽが上がり横に振られてました。それは点滴の時にも、家に戻り、立ち上がることができなくなり横臥の状態になっても続きました。
 
 見事な最後だったと思います、、、、、。
______________________________

 写真は2003年、ラーナ、3度目の出産の時(同期複妊娠)です。
 
 


2008年 2月 20日 (水) 23:24

ある再会、、、。
by ubu

 輝きの力を増してきた斜の陽光がまぶしい朝、いかにも雪に強そうなグレーのピックアップ車が、町道から我が家への道に入ってきた。
 
 「カボス、チロル、アリーナ、ハコ、エニセイ、パー子、みんなハウス!!」

 あわててフリーになっていた犬たちの名前を連呼し、それぞれの小屋に繋ぐ。

 あたたかそうな上着の前を開けたまま、おじさんが車から降り、私の書斎であり、今はゴミの山をかきわけて、かろうじてパソコンに辿り着くことができる部屋の外壁面に近づいて行った。右手に小さな器具を持ち、もう片方の手はボールペンを握っていた。
 おじさんは、雪の山に片足を乗せ、メーターを確認すると器具に入力し、出て来た用紙に数字を書き留めると私に渡した。
 
 受け取った記録紙を玄関に置いて再び外に出ると、おじさんはメーターから3メートルほど離れた所にあった犬小屋の前で腰をおろし、なにやら小さな声で犬に話し掛けていた。
 私はゆっくり近づいた。
 おじさんの言葉が聞こえてきた。

 「良かったね、ほんとに、、、。元気で帰ってきたんだ、良かった、良かった、、、」

 小屋に繋がれていた柴犬のミゾレは、細かく尾を振り、軽く耳を後ろに倒しておじさんの声を聞いていた。

 「あっ、その子、ミゾレって言います。ひ孫までいるお婆ちゃんなんですよ、、、」

 私が説明しようとした時だった、おじさんは笑顔で私に言った。

 「あの子でしょ、以前、町の中でみんなに餌を貰っていた、あのミゾレでしょ。家でもやってたんだ、可愛かったからね!」
 
 私は思い出した。
 
 もう8年ぐらい前のことだった。ミゾレは牧場の敷地内を流れる当幌川に釣りに来た人間の後を追い、川向こうにあるゴルフの練習場まで行ってしまった。しばらくうろうろしえいるうちに、練習に来ていた人に迷い犬と思われ、車に乗せられて町に連れて行かれた。
 その人は、ミゾレが嬉しそうにしているところを見て、飼われている家は近くにあると思い、自力で帰れるだろうと、そのまま解放してしまった。
 
 私と女房は、あちらこちら探し回り、1週間後だったと思うが、新聞に折り込むチラシで「ミゾレ行方不明」の告知をした。
 それが配達された日、朝から我が家の電話が鳴りっぱなしになった。
 
 「たぶんその犬だと思うけど、いつも朝8時にうちに来るよ」
 
 「あっ、いしかわさん?チラシの犬だけどさ〜、あれに似たのがいつも昼頃、餌もらいに事務所に来るんだは、、、」

 「その犬って赤い首輪をしてるっしょ、夕方、玄関に来ているよ、この何日か、、、」
 
 ミゾレは放された所を中心に、10数戸のお宅を時間差で訪問し、それぞれの家で美味しいものをもらっていた。

 「たぶん午後3時頃、必ずうちに来るよ、待ってたら捕まえられるよ、人間に慣れてるから、、」

 うん、確かにミゾレは人間が大好きである。それに飼い主の私に捕まらないようでは私の立場がない、、、などと余計なことを考えたが、とにかく皆さんの善意に感謝しつつ、無事にミゾレは我が家に戻った。行方不明になる前よりも、確実に体重が増えた体つきだった。

 検針のおじさんは、あの時、ミゾレを可愛がってくれた方のひとりだった。
 きっと美味しいものをいっぱい貰ったのだろう、その記憶がミゾレに蘇ってきたのか、久しぶりの再会にもかかわらず、ミゾレの太い身体が喜びでくねり始めた。

 「あの時はたいへん御世話になりました。ミゾレ、東京でも活躍してきました、子犬やウコッケイを守る、いい番犬だったんですよ、人間は大好きでした、、、」

 「そうかい、心配してたんだ、王国、厳しかったみたいだから。良かったよ元気で帰って、、、」

 急に胸が熱くなった。
 
 私はおじさんに背を向け、青空を見上げた。
 鼻の奥で痛みに似た刺激が始まっていた。


2008年 2月 18日 (月) 18:15

知床の白い犬
by ubu

 強い北風で根室海峡は白波が一面で砕け、先日、オホーツク側から岬を越えて流れ込んだ流氷の姿は確認できなかった。
 標津の先で斜里への道から分かれ、知床半島の右側、羅臼に向けて走ると、やがて山々から吹き下ろしてくる強い風に雪が混じり、時として視界は真っ白、ついブレーキに乗せている足に力が入りそうになる。
 しかし、やたらと急ブレーキをかけるわけにはいかない、絶えずミラーで後続車、そして前を走る車のライトに気を付け、追突を避けねばならない。
 幸い、悪天候のこの日は、日曜日にもかかわらずめったに車に出会わなかった。

 峰浜で本道から左に道を変える。ますます吹雪は酷くなり、久しぶりに緊張しながらハンドルを握りつづけた。どうも4年のブランクは、吹雪き道の感覚を鈍らせているらしい。
 私ひとりなら事故責任ならぬ自己責任であきらめもつくが、神奈川からの友人が助手席にいるとなれば、これは慎重にならざるをえない。言葉ではのんびりと語りながらも、端から見た私の心と視線は真剣だったろう。

 やがて、すっぽりと雪に包まれたAさんの家に着いた。踏み固められたアプローチに飛ばされてきた雪が重なり、長靴の上まで達する所があった。
 奥さんが笑顔で登場した。
 
 「こんにちは、あの子たち、あっち側にいますよ、、、」

 私と友人は円形の建物の左側を通り、玄関の反対側に向った。風は強く、真っ白な世界、視界は10メートルほどだった。

 とその時、建物から20メートルほど離れた雪原で動くふたつの生きものの姿がかろうじて見えた。声も聞こえた。
 2匹は繋がれている長いロープを引きちぎらんばかりに力を入れ、私たちに跳びついて挨拶をしようとしていた。

 「レヴン、グワイ、久しぶり、元気だね!」

 私はレヴンの前足を胸に受け、強烈なくちづけをもらいながら言った。グワイは吠え、ヤキモチをやき、そして尾を振っていた。

 2匹は1才違いの姉弟だった。父親はカザフ、母親はアラル、、、。
 ともにあきる野で死んだカップルである。年齢的にはまだまだと思っていた、従って私の胸の中では今も「夭折」の思いがある、、、。

 雪の中で、風雪に負けずに、2匹の喜ぶ声に負けずに、私たちはAさんご夫妻と話を続けた。
 
 そして家の中へ。
 もちろんレヴンとグワイも暖かいリビングへ入った。
 東京に行く前まで、女房と何度かお邪魔をしていた。懐かしいステンドグラス、そして犬の足型がきらめくガラス作品が窓際に飾られていた。2匹の両親、そして祖父になるマロのものもあるのかも知れない、、、。
 
 Aさんは素晴らしい内容のホームページを開かれている。そこには最初のサモエドであるハイダの記録、そしてレヴンやグワイたちの積み重ねている今の時間が掲載されている。
 東京で疲れた時、私はレヴンたちの写真を眺めた。ほっとできる姿が、犬の本質的な幸せが、Aさんご夫妻の手で、心で、切り取られ、楽しいキャプションとともに載せられていた。

 ひとときの時間と熱いコーヒーをいただき、私と友人は、少し吹雪の収まった知床を後にした。
 「今度は犬たちを連れてきます、、、」
 そう言って車に向おうとした時、窓からレヴンが私の後を追って飛び出ようとしてAさんに止められた。
 
 帰り道、海は相変わらず白く叫び、厳しい土地で真直ぐに伸びることは叶わず、不思議な形に曲がりくねったダケカンバの太い枝に、荒天を避けた1羽のオオワシがいた。

 


2008年 2月 15日 (金) 22:23

それは突然に、、、。
by ubu


 一昨日、コボの人間語の理解力について書いたばかりだった。その翌日、つまり昨日の朝、コボは発作の真只中に突入してしまった。
 
 そのてんかん様の発作は2年前から何の前触れもなく、突然に起きるようになった。背骨は反り返り、横に倒れたまま四肢は空を激しく蹴る。口からはよだれ、瞳は左右に細かく揺れる。
 獣医さんに相談し、これは効くはずという抗てんかん薬を与えたが、かえって発作の頻度が増え、以来、薬は控えている。
 
 この発作が起きると、排便はストップ、小便は発作中に漏らすだけ。だいたい3〜4日は食べ物を口にするのは無理、水も飲む事ができなかった。
 ある日、私が昼飯替わりにアンパンを食べていると、発作中のコボがよろめきながら寄ってきてパンの匂いを嗅いだ。何気なく私は小さく千切ってコボの前に差し出した。
 コボは不自由な動きの口で、アンパンを食べようとした。よだれがあふれた。私が口の中に押し込んでやると、固まっていた舌を懸命に動かし、そしてよだれとともに飲み込んだ。
 
 以来、発作が起きると、ある程度の段階でアンパンを薬のように与えている。すると、それまで回復(餌を食べられるまで)に最低でも4日かかっていたのが、わずか1日で復活できるようになった。
 やはり、美味しく感じる物を、「何とか食べたい」、そして「自分で食べた」、、、、と言うことがコボの生きる力となっているのは間違いない。

 そんなアンパンによる対処法で数多くの発作を乗り越えてきているが、肝心な点、「なぜ」そして「どんな条件が揃うと発作が起きるのか」は、未だに分らない。
 今回のケースも、一昨日は素晴らしく快調、北海道に来て最高の状態だった。
 それが一夜、いいえ、夜中の1時の夜遊びは絶好調、それからわずか6時間後には、瞳は揺れながら焦点を定めず、歩行は、まるで視力を失ったかのように徘徊気味に変化していた。サークルの中は四肢で蹴った跡が残り、敷かれていた藁が片側に山になっていた。

 私と女房は、そんなコボをあるがままに受け入れるしかない。声をかけ、腰の痛みは忘れて倒れないようにハーネスを持ち、

「さあ、コボ、おしっこ、ウンコをしてみよう、さあ、出るよ、出るよ、、、」
 
 と大声で励まし、そしてアンパンを食べさせ、水おけの前でコボの体を支える、、、。

 北海道に来てからは軽い発作が一度だけだった。今回のはかなり違っている。しつこい発作のようで、舌は中央部で盛り上がり、固まっている。
 ようやく夕方には水を飲むことはできた。しかし、自ら食べ物を口にするこてはできない。大小便をうながすために、外でフリーにしたところ、林の中に突入し、昨夜の新雪の中に顔を埋めた。

 「立て、コボ、さあおいで!」

 明日、願いをこめて、遥か東京から1500キロを運ばれてきたアンパンをあげることにしている。

 
 


2008年 2月 13日 (水) 18:26

コボの言語理解力
by ubu


 サモエドのコボは、誕生の時の事故(陣痛微弱、早期破水、逆子)で低酸素症による脳性マヒになった。心肺停止状態から復活し、運動機能障害はあるものの、あるがままに、いや、それ以上に努力して(本人は努力と思っていないが)明るく生きている。
 他の犬に比べれば、確かに私や女房の手間は数十倍になる。でも45分間に及ぶマッサージで助かった命、これも天から授かった可愛い命である、できうる限りの世話はしてきたつもりである。

 私はコボの成長を、少し離れた感じで論理的に観察する習慣をつけるようにしてきた。肉体的なもの、精神的なもの、さらには知能的なもの、そこから派生する行動学的なものに、多いに興味があった。
 その中で、最近の驚きは、コボの人間語理解力である。コボがしっかり理解していると思われるものを、いくつか羅列してみよう。

*「あんぱん」
  これはもう、あきる野の時から皆さん、良く御存知である。この
 魅惑的な単語を私が口にすると、コボの体は跳ね、舌なめずり、そ
 してよだれが流れ落ち、どこにいても私の胸に駆け寄ってくる。

*「コボ、水は?」
  コボは普通の感じで水おけで飲むことができない。バケツを置
 き、その上に水おけを重ねて設置し、水位を高くしてある。時々、
 その場所に自分で行ってなんとか飲むこともあるが、基本的に立っ
 たまま静止するのが難しく、バケツを押倒してしまうことが多い。
  そこで、私や女房はタイミングをみて「水」と声をかける。する
 とコボが飲みたい時は、自らバケツに駆け寄って行く。意地悪く私
 がバケツの位置をずらしたところ、いつもの場所にないことに気付
 き、ヘッドギアのせいであまり回らない首を振り、離れた位置にあ
 るバケツを発見、嬉しそうに跳ねて行き、バケツの手前で私を振り
 返り、飲みやすくなるように体を支えてと瞳で訴えた。コボは飼い
 主づかいが荒い。

*「コボ、さあ入るよ、ちょっと忙しいから、柵に戻って!」
  この長い言葉を聞くと、コボは私から離れようとする。それを無
 理矢理捕まえ、ハ−ネスを曵いて誘導しようとするのだが、コボは
 足を踏ん張って抵抗する。明らかに「入る」という言葉の意味を理
 解し、それを嫌っている。

*「コボ、散歩に行こうか!」
  これは嬉しいことと理解している。聞くとすぐに、普段はめった
 に使わない我が家へのアプローチの方へ体を向け、嬉しそうに先
 に立って駈け足をみせる。

 コボはワンと吠えることができない、そして思いのままに行動することも難しい。だからこそ、私や女房の言葉に対する反応が分りやすい。これからもともに暮らしながら、コボの生き方(あいつなりの処世術)を見つめていきたい。

 犬の人間語理解に関しては、面白く、そして感嘆することがいっぱいある、この続きは次回とさせていただこう。
 


2008年 2月 12日 (火) 12:43

紡がれる糸
by ubu


 パエルの子犬たちの行き先が全て決まった。
 
 メスの2匹は埼玉と神奈川。オス6匹は、東京が3匹、栃木が1匹、そして神奈川に2匹旅立つ。
 今回は8匹すべて首都圏に行くことになった。あきる野で互いに顔を合わせてらっしゃった方たちも多く、どこかのドッグラン等で兄弟姉妹が揃って遊ぶチャンスもあるだろう。
 その場に、私もぜひ立ち会い、パエルの初めての子犬たちの成長具合、性格などを確認したいと願っている。そこから我が家のサモエドたちの次が始まる。

 「それで、いつ私は子犬をモフモフできるんですか、今度の日曜日なら羽田に迎えにいけます、、、」

 2ヵ月以上は母犬だけではなく、他の犬やネコと遊び、ある程度の社会性を身に付け、さらにワクチンの抗体価が上がってから引き渡す、という我が家の子育ての様子をよく御存知の方だが、長く待っていただいていたこともあり、「1日でも早く、、、!」との気持が受話器から伝わってきた。

 「すみません、社会性、、、」
 
 そこまで私が口にしたところで、将来の飼い主さんも、あきる野での私の演説を思い出された。

 「あっ、そうですね、2ヵ月半はそちらで育つんですね、心と体のために、、、」

 確かに生後1ヵ月半になる今は、子犬たちがもっとも可愛い時期である。待切れない御家族の皆さんには申し訳ないが、この愛らしさは私と女房の宝物、楽しむのは繁殖させた者の特権とさせていただき、その犬の一生のために、あと1ヵ月は猶予をもらわなければならない。
 
 「毎日のようにホームページに子犬たちの写真を貼りますので、そちらで辛抱して下さい、よろしく御願いいたします」

 今、私の上着のポケットには必ずカメラが入っている。子犬に向けてシャッターを押す時には、必ずあきる野で出会い、サモエドの素晴らしさを語り合った、新しい飼い主さんの顔が頭の中に浮かんでいる。笑顔の皆さんが、、、。

 順調な8匹の体重の変化を書き記し、8匹の飼い主さんへのメッセージとさせていただこう。

 
     誕生   生後10日  生後30日  生後40日 
メス  360    800    2200   3150 
メス  350    770    2000   3000
______________________________
オス  390    850    2500   3700
オス  390    850    2500   3650
オス  360    720    2400   3500
オス  400    900    2600   3850
オス  360    800    2400   3700
オス  420    950    2650   4150

 8家族の皆さん、責任をもって、あと1ヵ月しっかり育てます。
 たくさんの犬、ネコたちとともに、、、。


2008年 2月 11日 (月) 15:04

朽ちず、そこにあり
by ubu

 東京のあきる野から原点の地、北海道に戻って間もなく2ヵ月になる。まず、大部分の犬、ネコたちを移送し、その後も様々な荷物の運び込みのために、1月中旬までかかって何度もトラックで往復した。
 もう、東北道ならば、どこに居心地の良いSAがあるか、アドバイスができる。

 中標津の家に戻って2週間後、波乱の年の終わりにサモエドのパエルが初めての出産をした。生まれた8匹の子犬たちは順調に成長し、生後20日目からは離乳食も食べるようになった。
 
 そして2月、家の中の狭い育児箱では兄弟ケンカもプロレスごっこもままならない。女房は外にサークルを立て、日光浴をさせた。
 この冬の中標津、雪は少ないが気温は下がっている。明け方の最低気温は連日マイナス15〜22℃を記録している。それでも大寒を過ぎると、日中はプラスとなる日もでてきた。
 子犬たちは遊び、そして陽光を浴び、だんごになって昼寝をしていた。

 仮設のサークルは8匹にはすぐに手狭になった。女房は我が家のリビングの前、庭に立っている広い柵の確認を始めた。
 面積は15平方メートルほど、中には2つの犬小屋がある。この柵は7〜4年前まで、そう、私たちが東京に行く前まで、生後1ヵ月を過ぎた子犬たちの遊び場であり、社会を学ぶ場所だった。

 「だいじょうぶ、あちらこちら柵ががたがただよ、、、」
 
 言いながら私が柵を掴むと、支えの木がぼろっと崩れた。

 「大丈夫よ、補修すれば何とか使える。これが残っていたのは、子犬を待っていたのよ!」

 女房は大工仕事も早い、添え木をし、針金で隙間を閉じ、何とか形が戻った。

 翌日、パエルの子犬たちを入れた。
 8匹が新しい場所、そして広さに逡巡していたのは5分ほどだった。すぐに雪の上で遊び、雪をくわえ、そして追いかけっこさえも始めた。
 柵の北側にたっぷりと藁を置いてあった。誰に教わるでもなく、遊び疲れた子犬たちは、そこに集まり、体を寄せあって眠った。

 その光景を眺めながら、私は過去を思い出していた。
 冬から春、ラーナの子が、ダーチャの子が雪山に登り、白く輝いていた。7月、そして8月、柴犬のミゾレの子とレオンベルガ−のベルクの子犬たちが、互いに母親を交換してミルクを飲んでいた、、、。
 
 朽ちずに私たち、そしてこれからも、たくさん誕生するであろう子犬たちを、この柵は待っていてくれた。
 かつての子犬たちと同じように、明るく、そして人間や犬、ネコが大好きな子犬がここで成長し、全国の新しい御家族のもとに旅立って行く。
 パエルの行き先を決め始めている私と女房には、とても心強い味方、それがこの古ぼけた柵なのかも知れない。

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 日記、長い空白、申し訳ありません。
 ようやく、書く気持になりました。
 拙い文章ですが、時々、のぞいてみて下さい。

 ありがとうございました。











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