日記
2008年 6月 24日 (火) 07:47


魔性の女
by ubu

 北見の近くの町まで車を走らせた。

 「お前も行くか、ドライブに付き合え」

 家を出る時に小屋の前で尾を振っていたエニセイに声をかけると、瞳でウンと返事をしたので、クサリを外した。エニセイは開いていた車のドアを目指し、嬉しそうに跳ねて行った。
 その様子を見ていた他の犬たちが猛烈に吠え始めた。

 「なんでエニセイだけなんだよ〜、オレたちも行きたい〜!」

 この依怙贔屓、人間の世界ならば陰湿ないじめや無視に繋がることも多々あるが、犬たちがしっかり社会を認識している関係の場合は、さらに良いつながりに向うから不思議だ。多分、『次はボク』、、、と前向きに処理するのだろう。

 美幌峠に差し掛かると、霧が濃くなりワイパーを動かした。頂上でエニセイのトイレを、と車を停めると、霧が流れ、切れた。眼下の屈斜路湖が見事な姿を現した。
 レンタカーの観光客が、さかんにシャッターを押していた。エニセイだけは一緒に写ってと、強いリクエストがあった。しかし、私はともに写る係ではなく、エニセイを囲み、湖をバックに笑顔を見せる客のシャッター押し係だった。

 今回の往復300キロの短い旅は、1本の電話がきっかけだった。

「いしかわさんの本、『飼育マニュアルに吠えろ!』を読みました。そこでうちの柴犬のことで御相談が・・・」

 オス、1歳の柴犬のチョビが、近所の方を咬んでしまったという、それも3人も。様々な本、そしてネットで調べてしつけ方を模索している時に、私の本にぶつかったらしい。
 電話では、なかなか事情が判らない。時間のできた時に、チョビに会いに行くことして、その時は受話器を置いた。
 
 そして6月22日、エニセイとの楽しいドライブである。

 チョビの家、kさん宅はすぐに分かった。車を停めると、10メートルほど奥の家の前に、建物に添って6メートルほどのワイヤーがあった。それに滑車付きのクサリで繋がれていた柴犬が車から降りた私に向って強く吠え始めた。
 出て来られたkさんご夫妻との挨拶は簡単に済ませ、私はチョビに向って進んだ。

 チョビの口はエリアに侵入した私の足に向ってきた。膝の上にアタックを感じた。しかし、咬んではいない。私はそのまま歩を進めた。
 ズボンにはたくさんの犬の匂いが付いている。チョビは吠えながらもそれに気づいた。鼻先がズボンの上を行き来した。
 すかさず、私は左手を近づけた。チョビの濡れた鼻が探った。
 心配そうなkさんご夫妻に説明をしながら、同時に、私の右手はチョビの尻のあたりを触っていた。
 ようやく私の匂い確認の終わったチョビは、思いも寄らぬ侵入者に、どう対応したらいいのか悩んでいる様子だった。このタイミングで、私は左手を上着のポケットに入れ、わざと大きな音をたててジャーキーを折り、それを取り出した。

 「さあ、これはなんだ?欲しい、美味しいよ〜!」

 チョビは私の左手に集中し、期待の瞳で待った。
 ワイヤーの両端それぞれに木製の小屋があった。チョビは別荘のオーナーだった。外飼いなので風向きや太陽の位置で、好きな方を利用できるようにとのkさんの心遣いが感じられた。
 右側の小屋の前にホーロー製の空の食器があった。まとわりつくチョビの相手をしながら、私はわざと食器に手を伸ばした。
 チョビの唇がゆがみ、小さな唸り声が聞こえた。
 まさしくチョビは本来の習性を残す柴犬だった。
 
 唸り声は聞こえないふりをして、私は食器を持ち、大袈裟な動作でその中にジャーキーを何本か入れた。kさんに話をしながら、中身をチョビに見せ、焦らし、そして小さく折って手で与えた。
 これで食器に手を伸ばしても、それは期待で待つようになった。

 到着した時から、ひとりの女性が私のすることを、少し離れて見ていた。kさんが紹介をしてくれた。なんとチョビに咬まれた近所の方だった。
 私がどのようにチョビを扱うのか、話をするのか、待っていて下さったとのことだった。
 ああ、この街には近所のみんなで犬を育てる文化がある、そう私は感激した。

 チョビの小屋の横には物干があった。その方が咬まれたのは、風で落ちた洗濯物をくわえていたチョビから、汚れないように、破られないように取ろうとした時だった。
 守り心からチョビは女性の手を咬んでしまった。なんと柴らしいことか、食器を守る行動と、ほとんど同じ理由である。

 今度、そのようなことがあった場合は、どうすれば安全かを話ながら、私はチョビの相手をしていた。触れる手に最初の緊張による堅さは消えていた。

 エニセイが車の中で吠えた。
 一瞬にしてチョビの身体が凍った。
 私はエニセイを降ろし、どんどんチョビに近づいた。いくら吠えられてもエニセイは私と一緒なら恐れない。尾は振らないが、うるさいコがいる、、、程度の緊張感だった。
 チョビの動けるエリアに入ったとたんに、彼はエニセイの首筋に咬みついた。けして傷ができるほどではないが、がうがう吠えながら首を狙った。
 3分ほど経っただろうか、さすがのエニセイも我慢の限度、素早い動きでチョビの肩口に胸を乗せ、体重をかけた。
 
 チョビは利口だった。瞬時に動きを止め、エニセイの為すがままになった。おそらくこのような反撃は彼には初めての体験だったろう。
 やがて、エニセイは静かに身体を離すと、チョビの尻、そしてチンポコ周辺の匂いを嗅いだ。
 このタイミングで、私はポケットに手を入れ、2匹の名前を呼んだ。ジャーキーをエニセイは食べた。チョビは緊張のために口にしようとしなかった。
 それを何度か繰り返すうちに、チョビはジャーキーに気持が行っているエニセイの尻を嗅いだ。
 納得したのだろう、今度はチョビもエニセイと顔を近づけてジャーキーを受け取り、そして飲み込んだ。

 私たちと2匹は散歩に出た。
 kさん家の裏には、2年前に惜しまれつつ廃線になった『ふるさと銀河線』の線路跡地があった。すでにレールは取り外され、具合のいい犬の散歩道になっていた。
 10分も経った頃だろうか、チョビの動きが変わった。最初はエニセイから距離を取ろうとしていたが、エニセイのおしっこ跡にマークをしてから、並んで歩くようになった。
 そんなチョビを、エニセイはリードするように初めての道を進んだ。
 
 家に戻ると、2匹は同じ水おけに口をつけて飲み、そして、エニセイの得意技、前足を大地につけての遊び誘いが始まった。
 そして5分、今度はチョビも同じ姿勢でエニセイを誘うまでになった。

 到着してから1時間半、私はkさんご夫妻に結論を伝えた。

『チョビは、あまりにも早く母犬や兄弟と離れたために、犬どうしでの挨拶、付き合い方を知らないだけで、他はほとんど問題ありません。人を咬んだことも、理由がはっきりしているので、犬の友だちを作ることで、変わる可能性があります。餌も遊びもおやつも、すべて素手で扱いまそう。
 若いオスですので、これからのことも考えて去勢手術をし、楽しい仲間を作る手立てをして下さい』

 エニセイを車に乗せ、挨拶のために窓を開けた時、チョビは吠えていた。
 それは明らかに最初と鳴き方が変化し、「行かないで」と私にもkさんたちにも聞こえた。

 秋、私たちは再会を約した。

 東京で多くの犬を、特にオス犬を見事に扱っていたエニセイ、その魔性の女ぶりは、いまだ健在だった。
 



T R A C K B A C K

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