日記
2008年 3月 2日 (日) 01:15


ひとかけらの肉
by ubu

 我が家のキツネたちの餌は、息子の弦矢が与えている。息子は毎日、「牛(ギュウ)の切り出し」と呼ばれている生の内臓肉を細かく切り、ドッグフードやチーズとともに食器に入れ、キツネ舎に通っている。
 台所で肉を切る作業の準備を始めると、必ず寄ってくるのがネコのミンツと銀、そしてルドだった。特にルドは、我家の主力部隊が4年前に東京に移転してから、息子と1人1匹の暮らしをしてきたので、かなり強い関係ができていた。4、5歳の時に耳が聞こえなくなったルドは、まるでオスネコを呼ぶ発情期のメスのような大きな声で鳴き、息子に「腹が減った」「トイレが汚い」「部屋でいっしょに寝かせろ」「外に出せ」「牛切りを一切れよこせ」と要求していた。
 
 牛の生の内臓肉(ぬるぬるの胃液、腸液もついている)は栄養豊富である。キツネたちにこれを与えるようになってからビタミン不足によるチックなどの病気はなくなった。さらに嗜好性が高いので、体調を崩した時や、心理的に落ち込んでいる時に効果があった。
 その美味しさ、つまり栄養に満ちた味を知っているので、ネコたちも何とか口にしようと息子の包丁の動きを見ながら狙っていた。

 毎回、少なくとも5切れは息子に貰っていたルド、若い時は7キロもあったタ−キッシュバンキャットだった。彼は3年前から重いてんかんを起こすようになっていた。獣医さんに処方してもらった薬も効かず、息子は、ただただ撫でることしかできなかった。

 そのルドが3日前に、息子によるとこれまでで最大の発作を起こした。収まった後もいつものような立ち直りはできず、食べることも飲むことも困難になった。それでもネコとしての矜持だろうか、ふらつきながらもトイレに行き、砂の上で大小便をしていた。

 そして今日、朝から立ち上がることも不可能になった。
 輸液は行なっていた。しかし、若い子ならともかく、老いたネコではあまり期待できないことは、たくさんの経験から私も女房も分かっていた。2人とも言葉には出していなかった、しかし、互いに最後を覚悟していた。

 午後、息子はいつものように切り出しをカットし始めた。邪魔をするのはミンツに銀だけであり、ルドの姿はまな板の近くにはなかった。
 今日の餌のぶんを切り終えた息子は、いつもより細かくしていた肉片を、暖かい床暖房の上で寝ていたルドの口の前に持って行った。ルドは少し首を上げ、息子を見たが口は開かなかった。
 
 1時間後、ルドの前から肉片は消えていた。
 
 さらに1時間後、ルドに痙攣が始まり、小便とともに口からも吐き戻しをした。透明な液体とともに1切れの肉片も出て来た。

 そして5時間、ルドは穏やかに15歳の一生を終えた。
 
 これで厳しい発作からも解放されただろう、これでいやな耳の治療もされないだろう、これで東京で死んだ兄弟のレオと再会できるだろう、、、。
 
 眠っているようなルドの顔に、私は小さく「ありがとう」と告げた。

 それにしても、一昨日からなにも口にしなかったルドが、全身の症状が悪化していたのにもかかわらず、なぜ今日、肉片を飲み込んだのだろう。
 
 私には晩年をともに暮らした息子への、ルドのある確かな返事に思えてならない。



T R A C K B A C K

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