2008年 2月 26日 (火) 01:50
サモエドのラーナに初めて会ったのは、札幌のデパートで開かれたペットのイベント会場だった。私は、そこで犬やネコの素晴らしさ、それを家族にできる人間の幸運などを、実際に犬を使って話していた。
友人でサモエドの繁殖家でもあるKさんがイベントのプロデューサ−、展示のために1匹のサモっ子を会場に連れてきていた。
ムクムクの白い犬、そして常に笑顔のサモエド、それの生後5ヵ月ほどの子犬、、、。
これで人気が出ないはずがない、会場のその一角は常にお客さんが立ち止まり、ちょっと小柄な子の笑顔に、可愛いとの声が満ちていた。
5日間のイベントが無事に終了した夜、私がサモっ子と遊んでいると、近づいて来たKさんが私に言った、
「その子、連れてくかい、いいよ、あげるよ。さあ、お前はお姉ちゃんの所へ行きな、、、!」
5日間、たぶん私のよだれが出そうな表情をKさんは見ていたのだろう。Kさんの気が変わらないうちにと、あわてて返事をし、姉のウラル、ベラが来ていた我が家に、その5ヵ月の妹も来る事になった。
中標津の我が家で、そのサモエドには女房が「ラーナ」と名前を付けた。サモエドたちはなるべくロシアに繋がる名前を選んでいた。ラーナは「ウクライナ」を意識し、何よりその響きがロシアっぽくて私も気に入った。
本来、ラーナはマロ親分の9匹目の側室になるはずだった。しかし、マロはボス的な行動はしていたが、その頃、オスとしての活躍は終えていた。
そこでラーナはマロの息子、カザフの嫁になった。さらにフランス系のレオとも結ばれ、同時にラブラド−ルのセンとも結婚をするという離れ業も見せてくれた(同期複妊娠)。
そして東京ではカザフの息子のオビとの間にも3度の結婚を成就してくれた。
20匹を超えるラーナの子供たちは、全国各地で母親譲りの笑顔を振りまいている、いや、多くの人々との笑顔の輪を作っている、と書くべきだろう。
飼われている皆さんの輪も大きく広がり、そこにはなんとも言えない穏やかな和がある。
私も女房もラーナからは、たくさんの幸せをもらった。晩年、糖尿という病を抱え、視力が落ちてしまった。しかし、ラーナは私と女房の声を頼ってくれた、その匂いを嗅ぎ当ててくれた。
「ありがとう、ありがとう、お前がいてくれた10年、いろいろあったけれど、ばたばたもしたけれど、本当に楽しかったよ、そしてたくさんの子犬をありがとう、みんないい子だよ!」
もともとけして大きな犬ではなかった。体重は22キロ、メスとしても小柄だった。しかし、顔だち、耳の形と位置、そしてなにより笑顔が素晴らしい犬だった。まさにクリスマス犬だった。
夕方になっても、私は呼吸を留めたラーナをリビングの床に敷かれた毛布の上に横にしておいた。
その脇に置かれた大きな木箱の中には、初めての育児をしている娘のエニセイがいた。そして8匹の孫たちがエニセイの体にくっついて眠っていた。
「ほらっ、聞こえるよね、孫たちの寝息、、。お前がいたから、この子たちがいる、そしてこの子たちに笑顔をもらう人がいっぱいいるんだよ、、、、ありがとう、ラーナ、そしてグッバイ!」
元気な犬たちの餌や散歩を終え、リビングのラーナの横に転がり、ぶつぶつと独り言を言う私の声を聞き留め、エニセイが箱から出て来た。
母親の移動に抗議をする子犬の声が響き、エニセイは一瞬、箱の中をのぞき子供たちの安全を確認してから動かぬ母親に近づいた。
エニセイは鼻を寄せ、ラーナの顔を中心に、何度もなんども匂いをかいでいた。
玄関のチャイムが鳴った。
街の花屋さんが白い花を中心とした大きな花束を届けてくれた。
全国にいるラーナの子供、孫たちからだった、、、、。
女房が花をラーナの横に置いた。
エニセイは母親から鼻を離し、顔を空中に向けて差し上げ、一瞬にして部屋に満ちた花の匂いをかいでいた。
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2008年 2月25日、ラーナ、10歳と9ヵ月の見事な一生を終えました。
大勢の皆さんからの応援、お見舞いの言葉、ありがとうございました。
最後の最後まで、私と女房の呼ぶ声が聞こえた時、差し出した手を鼻で確認した時、毛がとぼしいしっぽが上がり横に振られてました。それは点滴の時にも、家に戻り、立ち上がることができなくなり横臥の状態になっても続きました。
見事な最後だったと思います、、、、、。
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写真は2003年、ラーナ、3度目の出産の時(同期複妊娠)です。
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