2008年 2月 11日 (月) 15:04
東京のあきる野から原点の地、北海道に戻って間もなく2ヵ月になる。まず、大部分の犬、ネコたちを移送し、その後も様々な荷物の運び込みのために、1月中旬までかかって何度もトラックで往復した。
もう、東北道ならば、どこに居心地の良いSAがあるか、アドバイスができる。
中標津の家に戻って2週間後、波乱の年の終わりにサモエドのパエルが初めての出産をした。生まれた8匹の子犬たちは順調に成長し、生後20日目からは離乳食も食べるようになった。
そして2月、家の中の狭い育児箱では兄弟ケンカもプロレスごっこもままならない。女房は外にサークルを立て、日光浴をさせた。
この冬の中標津、雪は少ないが気温は下がっている。明け方の最低気温は連日マイナス15〜22℃を記録している。それでも大寒を過ぎると、日中はプラスとなる日もでてきた。
子犬たちは遊び、そして陽光を浴び、だんごになって昼寝をしていた。
仮設のサークルは8匹にはすぐに手狭になった。女房は我が家のリビングの前、庭に立っている広い柵の確認を始めた。
面積は15平方メートルほど、中には2つの犬小屋がある。この柵は7〜4年前まで、そう、私たちが東京に行く前まで、生後1ヵ月を過ぎた子犬たちの遊び場であり、社会を学ぶ場所だった。
「だいじょうぶ、あちらこちら柵ががたがただよ、、、」
言いながら私が柵を掴むと、支えの木がぼろっと崩れた。
「大丈夫よ、補修すれば何とか使える。これが残っていたのは、子犬を待っていたのよ!」
女房は大工仕事も早い、添え木をし、針金で隙間を閉じ、何とか形が戻った。
翌日、パエルの子犬たちを入れた。
8匹が新しい場所、そして広さに逡巡していたのは5分ほどだった。すぐに雪の上で遊び、雪をくわえ、そして追いかけっこさえも始めた。
柵の北側にたっぷりと藁を置いてあった。誰に教わるでもなく、遊び疲れた子犬たちは、そこに集まり、体を寄せあって眠った。
その光景を眺めながら、私は過去を思い出していた。
冬から春、ラーナの子が、ダーチャの子が雪山に登り、白く輝いていた。7月、そして8月、柴犬のミゾレの子とレオンベルガ−のベルクの子犬たちが、互いに母親を交換してミルクを飲んでいた、、、。
朽ちずに私たち、そしてこれからも、たくさん誕生するであろう子犬たちを、この柵は待っていてくれた。
かつての子犬たちと同じように、明るく、そして人間や犬、ネコが大好きな子犬がここで成長し、全国の新しい御家族のもとに旅立って行く。
パエルの行き先を決め始めている私と女房には、とても心強い味方、それがこの古ぼけた柵なのかも知れない。
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日記、長い空白、申し訳ありません。
ようやく、書く気持になりました。
拙い文章ですが、時々、のぞいてみて下さい。
ありがとうございました。