日記
2007年 1月 6日 (土) 20:53


ウブの側近たち・(4)
by ubu

     <ニャンコロベー(アブラII世)>

 捨て猫である。最初の名前はアブラII世だった。由来の説明は簡単である、5ヶ月前に捨てられていたメス、明らかに姉がアブラだったので、同じ所に捨てられたこの子はアブラII世となった。
 では、なぜアブラなのか。これまた簡単である。中標津の牧場にバーベキューをする大きな建物があった。使った油、脂を石油缶に入れていた。時間が経ち、油分が固まった頃、どこの誰かは知らないが大バカさんが子ネコを捨てていった。生後2ヶ月ほどの子ネコは、食べ物を求めているうちに石油缶に気付いたのだろう、私たちが見つけた時は身体中に油をつけて缶の中で鳴いていた。
 痩せたメスネコにアブラと名前が付き、我が家のネコ社会に仲間入りをしてふっくら体型になったころ、同じ場所に再び子ネコが捨てられた。今度はオスであり、同じキジトラ柄だった。
 タイミング、そして普通は人の来ない所なので、どうみても同一犯としか考えられない。コントロールなしにネコまかせにしていると、ちょうど出産のタイミングも合う。
 と言う事で、私と女房はアブラとアブラII世を姉弟として扱うことにした。

 2匹は仲が良かった。人間も大好きになってくれた。犬たちともすぐに友好条約を結んだ。しかし、先住の10匹ほどのネコとの折り合いはなかなかつかず、アブラたちは外を好んだ。
 
 冬、マイナス25℃。
 室内の床暖房の上、ソファの上、女房の布団の上にネコたちは暖かさと心地良さを求めていた。しかし、アブラ姉弟は面倒なネコ付き合いを避けて、暖房のない車庫を越冬の場所に選んだ。
 そこでは同じ様に家の中に入ろうとしないメキシカンヘアレスドッグのカリンが、犬毛のセーターを着て、私たちが用意したワラたっぷりの箱の中で暮らしていた。相棒はウコッケイだった。箱の中で犬と鶏がくっつき合って寝ていた。
 その仲間入りをしたのがアブラとアブラII世だった。
 どう見ても不思議な光景が、午後、日が傾き、気温がマイナス坂をどんどん転げ落ちるとともに車庫に出現した。
 どのぐらい温かいのだろうと温度を計ったことがある。何と、犬ネコ鶏が団子(何となく鍋物に聞こえる)になると、箱の中は15℃を超えていた。外気温はマイナス20℃以下に下がっていてもである。
 以来、心配はしないことにした。彼らは仲良しグループで見事に厳冬を乗り越えていた、いや、楽しんでいたと思う。

 犬の中で行動しているうちに、2匹のキジトラネコは、まるで恩返しのように子犬の教育係をするようになった。
 今、4歳以上で8歳未満の我が家出身の犬は、子犬の時期に2匹よっていたずらを叱られているはずである。鼻の先にアブラ姉弟のネコパンチを受けて、ネコに対する畏敬の念と怖れを記憶していると思う。
 
 アブラは東京の地を踏む事なく死んでしまった。
 しかし、アブラII世は元気にあきる野に越してきた。
 北海道時代から、女房はアブラを「おねえちゃん」、弟を「ニャンコロベー」と呼ぶようになっていた。戸籍上だけはアブラ、アブラII世、ということである。
 ニャンコロベーは新しい王国でもネコ付き合いは避けた。けしてケンカはしない、相手の存在を認めてはいるが、同じような行動をしないだけである。
 そして寝るときは、やはり最初はカリンの側が多かった。ヘアレス犬ゆえに体温が40℃近くあり、あたたかい湯たんぽのような存在だったろう。
 
 やがてニャンコロベーは、新しい湯たんぽを見つけた。ウィペットのトンである。短毛で脂肪のついていないトンも寒さには弱い。くっついてくれるニャンコロベーを、カイロのように感じたのかも知れない。拒むことなく添い寝を許した。
 今やおじさんネコになったニャンコロベー、その動きからは北海道で1日5匹のネズミを捕まえた記録を持つ鋭さは感じない。
 日々悠々、時々、お客さんに甘え、トンにすり寄り、カリンに挨拶をして穏やかに過ごしている。
 女房や私が宿直で雑居館で寝る時、ニャンコロベーは布団の中に入ることが多くなった。少し老いが始まったかな、そんな気もしている。
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 *写真説明*
 どっしりとした身体(6キロ)つきのニャンコロベーだが、トンに対する甘え挨拶の声は短く細く可愛い。これが犬に警戒や獲物反応を起こさせない秘訣かも知れない。
 
 



T R A C K B A C K

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