日記
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2007年 1月 11日 (木) 21:50

生きるために必要なこと
by ubu

 私は不二家に親戚はいない。友人も世話になった先輩もいない。
 従って不二家にはなんの義理立てもないのだが、一斉砲火のような批判には疑問を抱いている。
 と言うのも、これまで起きた肉類等の賞味期限、消費期限の改ざん事件と同じ論評の批判が出て来ているからだ。

 「原材料の牛乳が期限過ぎの今回のことだけではなく、今の日本では書かれている期日にごまかしがあるケースも多いとか。消費者は何を信じればいいの、何を食べたら安全なの!」
 
 答えは簡単である。
 
 「あなたの五感を信じなさい!、、、、である。

 ある学者の計算によると、売られている食品で、賞味にせよ消費せよ生産加工日にせよ、何らかの期日を記載したシールが貼られている物を買うことができる地域に住んでいる人間は、67億のうちせいぜい20億人になるらしい。
 私が出かけた海外は、たいてい僻地だった。そこで売られていた食品は、まったくの無印がほとんどで、客は、手にとり、丹念に自分の目、鼻、手触りで選んでいた。
 魚の時は、まさしく目とウロコとエラを見よ、、、である。無駄金を使わないように、新鮮な素材で美味しい料理をと、誰もが真剣だった。
 客が懸命だから売る側もうかうかできない。目が疲れた魚は棚から外し、足元で待っている野良猫の餌にする魚屋さんもいた。
 加工された物は確かに確認しずらい。それが不安なら、素材料だけを買い、自分で料理、調理をすれば良いのである。
 
 不二家において、牛乳が1日、期限が過ぎたことを私は問題にはしない。じゅうぶん過ぎるダメージはすでに受けたであろうから。それよりも余るような生産計画に甘さがあったのでは、検討しましょう、とは言いたい。
 もし、あのシュークリームを口にして、おかしいと感じたならば、責任を追及すべきだろう。それは今の日本での物作りのルールである。買ったのが落丁本ならば、出版社に送り返して謝罪の言葉とともに新しい本を送ってもらおう。
 
 不二家はそのぐらいとして、最後に少し言わせていただきたい。
 私は今こそ消費者が自分の力を信じるべきだと思う。書かれている、添付されている紙切れの数字に頼ると、いざという時に憂き目をみるのではないだろうか。紙切れを大事にするからごまかそうとする人間が出て来る。
 二つのコップに牛乳が入っている。
 夏の35℃の日、8時間、冷蔵庫に入れ忘れられた消費期限内の牛乳よりも、冷蔵庫に保存されたまま期限を2日過ぎたものを、私は美味しく感じ、ごくごくと飲むだろう、酪農家の息子としてその自信はある。

 犬やネコたちは数字を確認できない。
 彼らはすべて自分の5感で食の安全を確保している。化学的におかしなことをされていない限り、彼らの点検法は見事である。
 ある時、私は北海道らしくサンマのヒラキで確かめたことがある。
 朝の気温が7℃、日中は20℃ほどの季節。
 私はサンマを、カラスに取られないように金網の箱の中で日光浴(日干し)をさせ、1日1匹ずつ犬の前に置いた。
 
 1日目、犬は喜んで食べた。
 2日目、前日よりも嬉しそうに食べた。
 5日目、もちろんばくばくと食べた。
 7日目、臭いを嗅ぐ時間が長かったが、それでも食べた。
15日目、臭いを嗅ぎ、その後、食べずに肩口を擦り付けた。

 サンマは内蔵を取り除いてあった。それでも7日目頃からは、あきらかに私の鼻もクサイと感じる腐臭を出し始めていた。
 それを犬は敏感に嗅ぎ取り、食べられるか、それともネコまたぎならぬ『犬こすりつけ』かの判断をしていた。

 人間だって同じことをしてきたのではないだろうか。
 祖母が、おひつの蓋を開け、一瞬の臭い嗅ぎで、ご飯がすえているかどうかの判断をしていた。
 祖父は、みそ汁を口にふくんだ瞬間に、ブワーッと吹き出し、
 「こんなものが食えるか、腐ってる!」 
 と母に怒っていた。
 私は、どうしても捨てられず、大好きな豆腐ということで黄ばんでいたのを食べ、1時間後に自主的に胃の中身を出して洗浄をした(ようするに吐いた)。

 そんな生き物としての基礎的な能力を、もういちど磨くべきだと私は思う。それが生き延びるための大いなる力となるのでは。
 仕事であろうと、旅であろうと、子供たちがどんどん海外に出て行く時代である。彼らに悪くなったタイを見分けるヒントを、お母さんは教えるべきである。
 腐ってもタイ、、、などとは、こと食に関しては言えないのだから。
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 *写真説明*
 トン 『この虫、食べられるかな、それとも無視しなきゃだめかな。だいじょうぶ
     そうだ、食っちゃへ〜!』
 ミスター『アッ、見つけたのはボクなのに、ずるい!」


2007年 1月 9日 (火) 22:05

アイコンタクト
by ubu

 おかしくて、そして悲しく、せつない話を書こう。

 ある方が教えてくれた。
 犬が飼い主に背を向けて座ったり寝ていると、それは飼い主に心を寄せていない証拠だと専門家に言われたとのこと。
 その理由とは、犬との間にアイコンタクトができていない、取られていない、、、からだそうだ。
 
 先日、実際に現場に出会った。
 王国に来られた方に、ラブラドールのセンが嬉しそうに尾を振りながら寄って行き、いつものように背と尻をお客さんにくっつけて座ろうとした。
 
 「あらっ、何よこの犬、私を敵と思っているみたい。ねえ、目を見せなさいよ!」

 中年の女性は、センから離れると、正面に回り、センの顔を覗き込もうとしていた。
 困惑したセンは、尾を振る回数が減り、やがて他の客のほうに去って行った。
 女性は、同伴の友人らしき方に説明をしていた。

 「犬はね、しっかり目で会話をしなければだめなのよ。アイコンタクトと言ってね、リーダーたる飼い主との視線の会話が大切なの。あの子はしつけが出来てないわね、人間の私を見ようとしなかった。うちの〇〇ちゃんは私やお客さんが近くに行けば、絶対に目をそらさないわよ、、、」

 センの悪口を言われてはだまっておけない。
 私は最高の笑顔とともに二人の女性に近づき、声をかけた。
 
 「どんな小型愛玩種をお飼いですか、シーズーですか、トイプードル、それともパグか何かを、、、」

 「えっ、うちの〇〇ちゃんはパグですけど、どうして小型犬てわかったの?」
 
 「何となくお顔が似ているので、、、」
 などとは口が裂けても言えない。
 
 私は次のように続けた。

 「飼い主さんの目をしっかり見つめてくれると聞こえたもので、だったらおそらく小型愛玩種だと、、、」

 「あらっ、それ以外の子は人間の目を見ないの、アイコンタクトを取らなくてもいいの?」

 「もちろんです、と言うか、中大型犬は、見つめられるとストレス、プレッシャーが高まり、時にはうなったり、吠えたり、さらには咬む犬もいますよ」

 「でもそれじゃ、大切なアイコンタクトが、、、」

 「アイコンタクトなどという面倒なことをしなくても、彼らは人間の声、動き、指先の変化だけでも指示を理解し、情況を判断できるんです。牧羊犬がいちいち牧童の指示をアイコンタクトで確認するために駆け寄っていたら、夜になっても仕事は終わらないと思いますよ。だから彼らは口笛ひとつで自在に動くのです」

 「そりゃそウだけど、でも、私の友だちのパグも、みんな飼い主や私たちをしっかり見つめてくれるわよ、、、」

 「でしょう、それは愛玩種というところにヒントがあります。彼らは甘やかされるのが仕事だったのです。それを成功させるために、あのウルウル光線を獲得したのです。あの瞳の光線で見つめられたら、つい何かをしてあげたくなり、太ると判っていてもケーキをひとかえらあげてしまいます。彼らの作戦勝ちです」

 これで、パグを長年可愛がっている女性は、少し納得したようだった。
 周囲にお客さんが集って来ていたので、私は大きな声で続けた。内容は次のようになった。
「いっぽう、実業をさせられてきた犬種は、飼い主のささいな仕草で次にすべきことを理解し、時には飼い主が不在でも自分で判断して行動しなければならなかったんです。アイコンタクトは、犬の側からチラリと見れば済みますし、見つめ合うなどと言うのは時間の無駄、不合理だったのです」

 「そうだよねー。家のセターはハンティングをしていたけれど、猟場に出ると、オレのことなんか見ちゃいねえ、耳だけでオレの言う事を聞いていた。でもしっかり猟の手助けはしてくれてたよ、利口な子だった、、。あっ、昔の犬だよ、今は鉄砲はやめた」

 3歳ぐらいの可愛い女の子の手を握った70代ほどの方が体験を語り、私を応援してくれた。

 どうか、今、犬の世界に感染し始めている『アイコンタクト』から、飼い主さんは心を解放してもらいたい。
 試しに、初めて会った柴犬、秋田犬などの正面に立ち、瞳を見つめて近づいてみてほしい。あの人間大好きなラブラドールでさえ目をそらす。ましてや日本犬はその緊張に耐えられない、伏し目になるか、警戒の心で凝視してワンワンと啼くだろう。
 犬に嫌われたいのなら、アイコンタクトの濫用はとても良い手法だと思う。平和で仲良し、ほっとする雰囲気をお望みなら、ぜひ、目を見つめなくてもすむ斜め横などから近づいて友好条約を締結してほしい。
 
 再び、センが女性に寄って行った。
 センは背をパグの女性に擦り付け、身体をあずけて腰を下ろした。

 「さすが、犬を飼われている方ですね。セン、最高の挨拶をしています。これは犬が大好きな方への仕草です!」

 女性はセンと一度も目を合わせることなく、ちょっぴり誇らし気であり、優しくなでる手でセンと会話を続けていた。
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  <写真説明>
 ツナとヨシ、生後3ヶ月の頃である。
 サークルに入れられ、ウルウルではない視線で私に訴えてきた。
 半分はあきらめも入っているせつない視線は、
 『出して、、、。」
 と語っていた。


犬、犬に会いて、犬になる。。。
by ubu

 
 三連休の最終日、世の中は成人の日、私は50を超える犬たちと山道の散歩をした。2匹、3匹と多頭飼いの方もいらしたが、ほとんどは1匹の愛犬を連れての参加だった。
 それぞれの犬たち、普段の暮らしの中で、このような数の仲間と出会う機会はほとんどないだろう。
 
 「うちの子、ほかの犬を咬むんじゃないだろうか、、」
 「皆さんに吠えたり、跳びかかって迷惑をかけたらどうしよう、、、」
 「もしリードが離れて、どこかに行っちゃったら帰ってこないのでは、、」
 「何か迷惑をかけるといけないので、うちは後からついて行きます、、、」

 様々な不安を抱かれたまま参加され、出発前に、私に申し出て下さった飼い主さんもいらした。
 
 「だいじょうぶです。このような思いがけない場だからこそ、犬は飼い主さんを頼ります。いちいち反応できないほどの数ですので、他の犬が怖くても、どうにでもなれ〜に気持ちが変化するのです。さらに、他の犬の動き、様子をみて多くを学びます。どうぞ、堂々と手段の先頭、、真ん中を行って下さい!」

 大行進が始まった。けっこう息が切れる急な道を犬と人が登って行く。犬は目も心も先を見据えているが、人間は2日前の雨で、まだ濡れている足元に気を配り、皆さん、うつむきがちだった。

 やがて広場に到着、用意してあった水桶で犬たちはのどを潤す。
 そこから、私たちインストラクターが見守る中で、犬たちをフリーのする行進となった。自信のある飼い主さん、この際、試してみようという飼い主さん。それを私たちは笑顔で見守り、それぞれの動きを確認した。

 尾根の近くまで行って引き返した山道大散歩は、ひとつの事故もなく、飼い主さんの足の疲れと、犬たちの満足げな笑顔で終わった。

 「リードで繋いでいた時よりも、私のことをチェックしていました。先に行っても必ず立ち止まり、私の方を見るのです。さらに、他の犬の動きに誘われて、いつもはあんなに仲良く遊ばないのに、しっかり仲間になっていました。感激です!」

 紅潮した頬で、お母さんが私に語ってくれた。
 ここに『犬の真実』があると私は断言する。
 犬はフリーになった時、その本当の心と姿を現す。短い時間だったが、リードから開放され、自分の判断での行動を認められた時、犬の心(判断力)は豊かになり、そして人を見つめる基本(飼い主に向ける心を持つ家畜)に戻ったと思う。

 なかなか都会では、犬を一般生活の地でフリーにはできない。
 だからこそドッグランや庭、そして室内を上手に利用すべきである。短い時間でも自分の判断で行動出来たなら、犬は満足を得られるだろう。
 その時により効果的なのは、他の犬の存在である。多頭飼いが不可能な方は、ぜひともドッグランに通っていただきたい。そこで自分の犬が、どの程度の社交性を備えているのかを確認し、次のステップへの時間と機会を作ってほしい。
 しかし、残念なことに、犬の行動を判断し、アドバイスをしてくれるインストラクターが常駐しているドッグランはほとんどないのが実情である。だから様々なトラブルが起きている。
 
 お願いをさせていただきたい。
 ペット、特に犬に関わる様々な分野の専門家の皆さん、各地のドッグランの運営に関するソフト面に力を・・・・と。

 今回の大散歩は、王国のドッグランを利用されている方が多かった。ある意味で、これまでのドッグランにおける遊びや学びの発表会のようなイベントになった。
 それは大成功であり、みんな合格である。

 やはり、犬は、他の犬から多くを学んでいる。
 その場と時間を用意してあげるのが、私たち飼い主の義務かも知れない。

 

 


2007年 1月 3日 (水) 01:58

犬とネコ・異種動物の同居
by ubu

 数日前、まだ暦は2006年だった頃、若いカップルから相談を受けた。

「私はアパートで4歳のトイ・プードルを飼っています。彼はマンションで2歳になるネコと暮らしています。5月に結婚をするのです。彼の所で暮らします。
 そこで相談なんですが、大人になった犬とネコが一緒に生活するのは難しいのでしょうか。ふたりともそれぞれの獣医さんに、動物にストレスがかかるから考え直すように言われたんです。でも実家には預けられないし、困っています・・・」

 犬とネコである、私は笑顔で、大きな声で応じた。

「まったく問題ありません。これが元気盛りの玉付きのオス犬同士だったら、少し考えます。どのようにしてもケンカがおさまらないこともあり得ます。でも、犬とネコ、異種動物だったら必ず調和します、ご安心を!」
 
「でも私の犬は、散歩中にネコを見つけると吠えるし、追いかけようとするんですよ。そんな子でもネコと仲良くできますか?」

 静かな笑顔で一言も語らない男性と、3本の指で互いの手を絡め合ったまま、女性が心配事を続けた。

「最初はネコが恐がったりすることもあります。状態を見ながら作戦を考えましょう。2匹を隔離するのではなく、互いに存在を確認できる状況を用意するのがコツです。違う部屋に置いても匂いや声、雰囲気でそれぞれを認識し、見えない事で逆にイライラを強くするのですから、姿も判る形が馴れ、仲良しへの第一歩になります。恐がりネコには大きなケージが役立ちます。人間が仲を取り持つヒマがない時などは、そこに入れましょう。餌は互いが見える所で与えましょう」

「生き物は、同じ種同士でのストレスは大きくなります。特に群れ型の動物はその傾向が強いのです。犬、馬、そして人間もそうですね。見て下さい、そこで昼寝をしている柴犬のミゾレとラブラドールのタブ、くっついていないでしょう、1mは離れているでしょう、これが安心の距離です。ところが、ほらっ、机の上のマスターとトク蔵、抱き合って寝てますよ。ネコは単独行動型だから相手との距離をあまり問題視しないんです」

「あっちのテーブルを見て下さい。センとキンコ、犬とネコが仲良くしています。同種間の緊張ストレスがないために、彼らは落ちついていられるし、平和なんです。あなたたちの犬とネコも、時間は必要かも知れませんが、必ずこんな光景を見せてくれます。安心して結婚して下さい。嫁入り道具に犬1匹、最高じゃないですか!」

 昔、私の実家もそうだったが、田舎の農家の庭先では、ニワトリがうろつき、ネコがスズメを狙い、犬がそんな様子を見張っていた。
 彼らはその家の仲間を認識し、けして狩りの対象とはしなかった。それが家畜としての進化の証であり、憲法だった。
 なんでもかんでもストレスで語り、それを悪者にし、ストレスを避けることで問題を解決しようとする傾向に私は反対する。なぜなら、生き物は少なからずストレスによって自己を確立し、分子細胞レベルから意識上まで、偉大なる生きる力をもらっているのだから。











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