日記
記事はありません



2007年 3月 7日 (水) 06:20

ユニっ子をよろしく
by ubu

 かなり前から、私や女房の手で育てた子犬を旅立たせる時に、新しい飼主さんに拙い文章の書き物をお渡ししている。その中には乳父、乳母の気持ちと産み、育ててくれた母犬への感謝を込めている。
 今回のユニの子犬には、下記のようなものを書かせていただいた。
________________________________



    乳父と乳母のふたり言

                     ムツゴロウ動物王国
                         石川 利昭
                           ヒロ子

  2006年11月26日、20時25分、ラブラドールのユニ(母タブ、父テディ)は初めてのお産の第一子を出産しました。その後、翌27日の4時32分までに合計7匹の子犬を、無事に生み終えました。
 この拙文は、出産育児を見守り、応援をしていきた二人の親ばか綴りです。今回、縁あって皆様の家に子犬が旅立つにあたり、ささやかな記録としてお渡しいたします。御笑読下さい。


* 出産まで
2006年 9月15日  発情開始
      9月26日  伊勢原のケンと交尾(1回目)
      9月28日  2度目の交尾
2006年 10月下旬  腹部はまだ小さいが、間違いなく妊娠している。
      11月24日 雑居館の中に設置した産箱に入れてみる。ユニ自身が2
             年前に生まれた場所、落ちついている。
* 出産
  第一子 26日20時25分  イエロー オス  470グラム  
  第二子    21時50分   黒   オス  450グラム
  第三子    22時20分  イエロー オス  430グラム 濃い
  第四子    22時51分   黒   メス  430グラム
  第五子 27日 1時15分   黒   オス  480グラム
  第六子     3時51分   黒   オス  430グラム
  第七子     4時32分   黒   オス  460グラム

 後半、時間はかかりましたが、すべての子が安産で生まれ、乳首への吸い付きも優秀でした。
 その後、10日目で体重は900〜1100グラム、20日目で1500〜1800グラム、30日目で2000〜2600グラム、60日目で6200〜8300グラムと順調に成長してきました。





  健康管理

 駆虫
 1回目  12月24日  ピペラックスシロップ
 2回目   1月 9日  ピペラックスシロップ
 3回目   2月 7日  ドロンタールプラス

 ワクチン
 1回目  1月30日  8種混合ワクチン接種(次回は3月2日頃です)

 離乳食
 12月16日、生後20日目から離乳食を食べ始めました。その後、母親のミルクも飲みながら順調に2食を食べています。子犬たちの母親であるユニはとても母心が強く、生後1ヶ月頃から自分が食べた餌を子犬に吐きもどして与えています。従って子犬はプクプク、母はガリガリ状態が続いています。最高の母性を発揮しています。このような理由もあり、今回は人間の作る離乳食を1日2回にしています。


* 餌、その他食べること
現在のところ1日2回(8時、15時半、他におやつと母犬の吐きもどし)離乳食を食べています。
内容は下記のようになります。
 ドライフード・・・・ニュートロ社のナチュラルチョイス<ラージブリー
           ドパピー>1回140グラム。
 犬缶A・・・・・・・市販の普通のもの1回に三分の一。
 犬缶B・・・・・・・市販の鶏頭水煮(1回に頭1個)。
 牛乳・・・・・・・・適当量
 チーズ・・・・・・・10グラムほど。
 残飯・・・・・・・・主に白いご飯少々。
 煮干しを2〜3匹、必ず入れて下さい。
 ドライフードは王国のショップで購入可能です。よく食べますので、来られた際に大袋をどうぞ。

 量は成長とともに増やして下さい。缶詰は適当で構いません、お好きなものを与えて下さい。人間の残り物も、ネギ、ニラ、ニンニク、菓子類(特に気をつけるのはチョコレート)等以外は平気です(同じものを毎日、そして多量でなければ)。
 回数は、1日2回、生後1年ほどで1日1回でも構いません。
 おやつは様々なトレーニングの褒美にも、栄養の補給にも有効です。ジャーキー等を、どんどんお使い下さい。
 また、ラブはくわえる、囓る(幼時の甘咬みも)が特技の犬種です。おもちゃやおやつにボーンなど、固めの物をおすすめします。これは家具や人間を守るためにも必要です。

* ワクチン、駆虫、登録に関して
  混合ワクチンの1回目は別紙接種証明書に記載のように、1月30日に行っております。次回は3月2日頃、そのまた1ヶ月後に3度目の接種をおすすめします。その後は1年1回の処置となります。検便、駆虫薬(特にフィラリアの予防)投与等を含めまして、獣医さんとご相談を願います。
 自治体への登録、狂犬病ワクチンの接種に関しましても、獣医さんに聞いて下さい。
 血統登録書は、現在手続き中です。発行が済み、王国に届きましたら、すぐに送らせていただきます。

* その他
ペットライフ社のwanという雑誌で、私は20年近く連載をしております。その中でラブを中心としたレトリーバーの原稿を依頼されました。3号に渡って書いた文章のうち2号分をまとめて転記しました。
 私と女房の考え方を示しております。参考までに読んでいただけたら
幸いです。

 新しき飼い主の皆さんは、私たちにとって大切な心の親戚さんです。犬を絆に皆さんとの愉快な、時にはらはらどきどきな日々を、心から楽しんでいきたいと考えております。
 重ねまして、ユニっ子第一期生をよろしくお願いいたします。

                   2007暖かい冬 石川 利昭
                              ヒロ子

 
 『ラブラドール・レトリーバー・北の海と荒涼の大地から』
               
 北海道の王国で暮らしている時、冬から春にかけてよく知床に出かけた。厚手の防寒着を重ね、ふくらんだカメラバッグを肩に、切り立った崖の下で、時には流氷漂う中を開氷面をなぞりながら漁をする船の上から、北の海を生活圏とする生きものたちの姿を追った。
 昔のような重い黒のゴムカッパの漁師は消え、カラフルな化学合成生地の防水着に全身を包み、顔にはタオル、頭には毛糸の帽子をかぶった海の男たちは、知床の狭い海峡に産卵に集まって来たタラを獲っていた。使う漁具は刺し網、長く流した網に、群れるマダラやスケトウダラ(タラコの母である)が刺さる仕掛けになっている。
 「いや〜、兄ちゃんのとこに、あれをくわえてくるイヌッ子はいないべか、オジロたちばっかに食われるのがもったいないベさ・・」
 網を巻き上げる時に、どうしても刺さりの悪いタラは外れ手しまう。深い所から一気に上げられた魚なので浮き袋が膨らみ、タラたちは失神状態で水面に漂う。
 それを狙ってオジロワシやオオワシが襲来してくる。その勇壮なドラマをカメラを構えて待ち受け、シャッターを押していると、気の合った船頭さんたちは、半ば本気でそう言ってきた。
 「実は、ぴったりの犬がいるんですよ、泳ぎが得意で、くわえて運ぶのが得意で、そしてスタミナたっぷりのが・・・」
 「貸してくれや、いや、バイトに雇うべっか・・・」
 鼻水が凍る船の上で、私たちは冗談を言い合っていた。かつてのようにわずか数ヶ月の漁で御殿が建つほどの水揚げは幻となり、一匹のタラも惜しいと感じられる時代になり、船頭さんの言葉は、ある意味で本音だったのかも知れない。

 私の頭の中にあった『ぴったりの犬』とは、ラブラドール・レトリーバーのラブであり、その連れあいのクレバーのことだった。
 王国の目の前の海で波に漂うコンブをくわえてきたり、ニワトリ小屋から卵の入ったバケツを運ぶ二匹の姿を思い浮かべ、闘いのようなタラ漁の船上に身を置いていると、私の想いは何度も遠きニューファンドランドの地に飛んでいた。

 よく知られているように、十五世紀末に新大陸(北アメリカ本土)を発見したコロンブスも、その数年後、あと四年で世紀が変わる一四九七年にニューファンドランドに到達したカボットも、ともにイタリア人だった。前者はスペインの、後者はイギリスの許可と援助のもとに新天地を探す航海に出た。
 そして、イギリスに帰ったカボットの報告には、ニューファンドの周辺がタラの宝庫、素晴らしい漁場になると記されていた。
 緯度の高い北半球の人類にとってタラは最高のタンパク源であり、胃を満たす素晴らしい魚だった。何よりも魚自体が大きい。
 冷害などによる飢饉が続き、近海の漁獲も乏しくなり、やがてイギリスの漁師たちは新しき大陸の東海岸にある、タラが周辺に満ちている宝の島々を目指した。

 そこで漁師たちは黒く大きな犬との出会い、そして実業を通しての密度の濃い付き合いをもつことになった。
 これまで、ラブラドール・レトリーバーを述べる時、ニューファンドランド、およびその周辺には、土着の犬はいなかった、とされてきた。
 しかし、近年の研究によると、スペイン人、バスク人の進出、そしてカボットの発見の五百年前、そう十世紀にたどり着いていたバイキングによって、なんらかの犬がもたらされていたのは確かである。
 特に注目すべきはスペインとバスク、そう、スペインからはウォータードッグ、そしてバスクからはピレネー周辺の大型マスチフの影が色濃く浮き出てくる。
 
 犬は家畜である。
 その土地の気候風土に順応し、人の求めに応じて仕事の質的変化を果たし、姿までも大きく変える。
 古き時代にラブラドール半島に住んでいたある人物の著作には、人々はニューファンドランドの海で仕事をする黒く長い毛を持った犬と、やや小柄ながら海だけではなく、狩りを手伝い、すべてが凍り付く冬には、ソリを曳いて活躍する黒い犬が人々に大切にされていたと記録されている。
 当然だと思う。犬たちが専門職になり、ある一定の仕事だけをこなす時代は、もっともっと近代になってからが中心である。暇と財を誇る王様や貴族、ある種の寺院以外で飼育されている犬は、飼い主がぎりぎりの状況のなかで、仕事ができるからこそ餌を与えられていた。
 飼い主は、ひとつをこなすスペシャリストよりも、何でもできる犬を良き犬としただろう。
 その意味で、十六世紀から十九世紀にかけて、ニューファンドランド周辺の犬たちは、遠きイギリスからやってくる漁業者、そして土着の人々、さらに定住を始めたヨーロッパ人とともに、冷たい水をいとわず、泳ぎを得意とし、網から外れたタラを回収し、狭い石ころだらけの浜ゆえに港を持てぬ船のために、もやい綱をくわえて浜に泳ぎ、時に人の心を癒し、連絡用のソリを曳いて駆けるなどの多用途犬としての道を極めていった。

 十数年前、私は願いが叶い、イギリスのプールの地に立った。
 この港から、西の冷たい海を目指し、たくさんのタラ船が出て行ったのかと思うと、霞がかった夕日に照らし出された港も、重く感じられた。
 そのプールで、そして周辺の町で、さらにロンドンでも、私は古本屋、ギャラリー、骨董屋、図書館、KC本部などを訪ね歩いた。
 
 探し求めていた内容を示す数枚の絵、そして絵を写真にしたものを見つけた。
 古ぼけた絵の中で、黒い犬は大きな荷車を人間とともに曳いていた。中には五匹の犬が一台の車を曳いているものもあった。
 犬の大きさは現代のラブラドール・レトリーバーよりも少し大きかった。黒い毛は長めに描かれていた。
 額装されていない絵の裏を見ると、一八○○年代の数字と、セント・ジョーンズ犬と記した小さな紙が貼ってあった。

 荷車に山積みにされた荷は、塩漬けのタラだろう。ロンドンまでの長い道を懸命に曳いた犬たち・・・
 後年、ブルドッグの牡牛いじめと同じように、愛護団体によって禁止をされるまで、大きくて、黒く、そして忠実な実用万能犬は、飼い主の生計とともに自分の暮らしも支えていた。

 この後の歴史は、様々な書籍に書かれている。
 もちろん、ラブラドール・レトリーバーの真の始祖などを探し出すのは困難である。有名な愛犬家、繁殖家、狩猟家(ほとんどが貴族)などの名前とともにラインの構築も語られてはいるが、私はそれよりも、危険多きタラの海に出かけ、そこで人間を助けて活躍してくれる黒い犬の話を持ち帰った漁師の言葉。さらにイギリスにやって来て、重い荷車を懸命に曳いた犬たちを感慨をもって眺め、語り合った普通の人々の中にラブラドール・レトリーバーの原点を感じる。

 犬、それも人々の求めに応じて作り上げられたほとんどの犬種は、あくまでも暮らしの中に存在の基礎を置いている。
 ニューファンドの島々に暮らした、もしくはそこに出稼ぎに行った人々が、その地に番犬を求めず、人間のごく近く、声と視線の届く所で、ひたすら回収と曳くことを犬に求め、犬たちはその期待に応えた。
 これが二十一世紀の今、世界中で愛されるラブラドール・レトリーバーを支えているのだろう。
 セットもポイントもフラッシュもレトリーブもでき、盲導犬、警察犬、軍用犬、麻薬探知犬、災害救助犬、介助犬、水難救助犬、子守り犬、セラピー犬、そして笑顔の家庭犬・・・
 彼らの万能ぶりを見るにつけ、その心の歴史の中にあるニューファンドランドでの先祖の暮らしを思わずにはいられない。
 
 生き物は極限の地、状態において、心を通わせ、互いに力を補いあう。そして、それはいつの日か、相手がいることが、その相手に役立つことこそが喜びとなっていく。
 ラブラドール・レトリーバーは、人間という相手の存在を大いに驚喜している。
 

  
 『すべては待つ心から』
             

 レトリーバー、特にラブラドールに関して、二回に渡って古き時代のニューファンドランド、そしてロンドンへの長き道に思いをはせてきた。
 まだまだ思いは私の胸の中であふれている。語りたい事は山になっている。
 しかし、それはいったん収めておこう。  
 笑顔で活躍をしている、今、私の目の前で生きている連中にペン先を向けてみることにしよう。

 一〇月の初旬から、西多摩の東京ムツゴロウ動物王国でドッグランの運営を始めた。あまり広くはないので「プチ」と名付けているが、常にインストラクターとインストラクト犬が、ゲストの犬、そして飼い主さんとの対応にあたり、どのような犬でもリードから解放され、他の犬、そして人間との付き合いが可能になるようにと、駆け、遊びながら、提案者の私も犬たちと一緒に勉強をしている。
 このドッグランはいくつかの約束事を設けている。鑑札(登録番号)の提示、狂犬病ワクチン、混合ワクチン接種証明書の提示である。単に囲われた場所を提供するだけではなく、飼い主さんにとっては少し面倒が増えるが、すべての犬たちの健康と安全のために重要と考えた結果であり、利用される皆さんの安心にもつながっている。

 ドッグランがオープンして二ヶ月半、 新しい出会いがたくさんあった。初対面の犬たちが耳を軽く倒して私の手の匂いを嗅ぎ、初対面の犬同士で挨拶をする儀式が日々進行中である。
 その中にはラブラドールをはじめ、レトリーブ心を備えた様々な犬種の犬たちがいる。
 生来の元気ものたちの動きを眺めながら、それぞれの飼い主さんたちが私に言う、

 「いや〜、あのわんぱくぶりには困りました。やっとです、少し落ち着いたのは。三年もかかりました」
 「もう、あの子の訓練のためにどんなにお金を使ったことか。代わりに餌は安い物にしたんですよ、あははは」
 「元気なのはいいんですけど、誰にでも跳びつくので困っています。本人はうれしくてなんですけど・・・」
 「盲導犬になっているラブが同じ犬種とは思えないんです。だっていつもバタバタ、ドタバタ、もう凄いんですよ」
 「そうそう、盲導犬のあの仕事っぷりに憧れてラブラドールを飼ったんです、うちも。クィールのような犬がほしくて」

 黒、イエローの被毛を陽光に輝かせ、西多摩のドッグランを楽しむ犬たちを横に、私に向けられた皆さんの言葉は、ともすると後悔語録と誤解をされそうな内容だった。
 もちろん、ほとんどは過去の事、愛犬が成長期だった頃の話であり、切実な悩みの時期からは脱却をした、もしくはあきらめて全てをあるがままに受け入れた余裕が端々に含まれていた。同じ場に、将来はラブラドールを飼いたい、などと言う方がいらっしゃったら、前述の言葉を発した皆さんは、口をそろえてこう言う、

 「かわいいけれど、大変ですよ〜、覚悟をしてから飼って下さいね!」
 「家は彼らの囓るおもちゃと思って下さいね!」
 嗚呼、レトリーバーたちよ・・・

 そう嘆く気持ちは、実は私にも、脅しのようなことを希望者に伝えた現役のオーナーさんたちの心の中にも存在していない、いや、ほんの少しはあるかも知れないが、それは笑顔で発する程度のものである。
 逆に言えば、「だからこそレトリーバーは面白い」となるだろう。

 その面白さの原点となっているのは、やはり人を見つめる密度の濃いことだろう。
 彼らはレトリーブ心をDNAに組み込んでいる。そりゃあそうである、犬種として作り上げる時に、長い時間をかけ、それを基本に選択をしてきたのだから。
 獲物を狙ってハンターが発砲をするまで、レトリーバーは動きを控えていなければいけなかった。ガサゴソと動き回ることも、ジャンプをすることも、そして何より吠えることも禁止されてきた。
 つまり「待つ」ことが起点とされてきた。それができないレトリーバーは役立たずであり、淘汰される運命になっていた。

 この本質は、家庭犬の道が本線になった今の時代にも変わらず残っており、私たちが彼らと付き合う時に利用できる。レトリーバーを家族に加え、ともに暮らしを楽しむ時のルール作りに役立つのである。
 
 犬たちの心拍は人間よりはるかに優れたフレキシビリティを備えている。突然の恐怖、危険、そして狩りにおける瞬間的な動き、さらには群れ社会での上下関係のやりとりなどにおいて、瞬時に対応できるように数秒で平常値(一分間に八十〜百回)から二百を超える心と体の躍動、緊張態勢に変化できる。全身に多量の酸素を送り込み、細胞のすべてが臨戦態勢に入れるのである。
 さらに不思議なことは、上がった心拍が、これまた数秒で平常値に下がることである。犬たちが絶えず生理的に心を揺らして生きていることがよく分かる。

 私は何度も心拍計を犬に装着して実験を行った。それは様々な犬種、様々な条件のもとで繰り返した。
 結論から言うならば、人間が(その犬の家族が)存在しているだけでは犬の心拍数は上昇しない。それに比して、犬と犬の間では、よその犬はもちろんのこと、同居している犬同士の間でも上下の関係による心拍数の変化が起きる。挨拶行為の時に顕著な上下動が発生するのである。
 つまり、人間はどんなにがんばっても犬の群れには加入できないのである。その犬のリーダーにはなることができない。犬はけして愚かではない、同種の犬と人間をしっかり見分けており、別の存在として考えている。
 でも心配は無用である。
 犬たちは飼い主家族を暮らしのパートナーとしてしっかり認めてくれている。この関係について記述すると長くなるのでここでは触れないが、人間家族がその飼い犬の群れの一員と考えるのは大いなる間違いとだけは書いておこう。

 さて、心拍数である。
 人間が関わって飼い犬の心を動かすこと。実は簡単にできる。そして、それこそが犬を変化させる基本になる。
 たとえば、餌の時間が近づき台所で食器の音がした時。フードの袋のかさかさという音が聞こえた時。帰宅する家人の車のエンジン音が耳に到達した時。誰かが玄関に置いてある散歩リードを手にした時。ジャーキーの袋のこすれる音が聞こえた時。大好きなボールやディスクを人間が手にした時(特にレトリーバーはこれに耐えられない)。
 あげていけばきりがない。
 要するに犬との暮らしの中での些細な ことが、犬たちの心に大きな影響を与えており、それは喜びをともなった時により大きく針が振れる。
 そしてそして、心拍数が最大を維持するのは、前述の事柄に加えて、そこに「待て!」という人間の指令があった時である。
 餌の時間、食器を見た時に百六十だった数が、待てと言われると、流れ出るヨダレとともに急上昇、時には二百二十に到達する。
 瞳は「早くよしっと言って」と哀切に訴え、食べられるのなら何でもするよ・・・
の状態に突入する。
 愛犬のトレーニングにおいて、これを利用しない手はない。心が寝ている状況では犬たちの学習能力は低いままである。テンションが上がってこそ、様々なことが体と心にしみこんでいく。
 特にレトリーバーたちにおける人間からの「待て指令」は、その出自と相まって効果は絶大である。
 さらに、様々なトレーニングの効果を期待するための環境を書いてみよう。
 まず幼い時から人と犬を知ることだろう。生来の挨拶上手を生かすために、ワクチンの抗体価が上がったならば、どんどん近所の犬の散歩の時間に合わせて外に出よう。大人の犬からの指導があってこそ、犬としての社交術を身につけていく。もちろん近くにドッグランがあるならば、どんどん利用すべきである。
 次に、散歩コースをたまには知らない道にとることである。認識をしていない所では基礎的な心拍レベルが上がる。それを利用して人間を頼る心を導き出すことである。

 そして何より大切なのは、レトリーバーたちが生き甲斐としている持ち運び能力を生かした遊び(ゲーム)だろう。物は何でも構わない、くわえて運ぶ動きを誘発する道具を見つけ、それを介して人間との会話を成立させよう。
 これは、レトリーバーたちの最高の喜びであり、必ずや相手をする人間を良きパートナーとして認めることだろう。
 その際にも「待て!」の一言が、さらなる期待につながり、犬たちの心に磨きがかかり、いつの間にか落ち着きを運んでくるに違いない。
 笑顔で満ちよ、レトリーバーたち。
 
       
 











RingBlog ver.2.44d