中標津こどもクリニックブログ

新聞配達の方、どうもありがとう

「何が何でも1日1ブログ」
みたいに追い立てられるのはいやなのですが、気になったことは間隔が無くとも発信いたします。

今日の朝の、ものすごくうれしかったことがありました。

今日は未明から雪がはらはらと降りだしたようで、念のために6時起きした時点では「一応やっておくか」という程度のつもり具合でした。
町内在住の方だったら「あの程度の雪では雪かきなんていらないでしょ」
と思われると思いますが、
当院の養護学校側の通路は日陰になっており、積もった雪が車などに踏まれて舗装にこびりついてしまうと、溶けてくれないのでなかなか取れません。
その後は日中に表面だけが溶けて、午後になって再度凍結し、見事にツルツルになります。
まがりなりにも小中学校の通学路になっているので子ども達がすべって転んではいけないと踏まれる前に必死に雪かきをしているのです。

そんなわけで今日も今日とて、まるで「レレレの掃き掃除」のような雪かきを開始しました。
養護学校側にある家玄関に来た時に「んっ?!」と立ち止まりました。
玄関に上がるほんの数段の階段に、わずかに積もった雪が掻かれた形跡があります。
一瞬何が起きたのかと思いましたが、すぐに状況を把握しました。
新聞配達の方が階段脇に置いてあった除雪用のへらで、自分が足を踏み込む部分の雪を除けてから階段を上られたと推測しました。
日陰の階段の雪を踏み固めてしまったら、購読者が滑ってしまう。」
という心使いがとてもうれしかったです。
私自身も小学校6年生から高校3年生まで新聞配達をしていましたが、こんなにも細やかな気持ちを持った配達員には出会ったことはありませんでした。

そんな方に毎朝新聞を届けていただいていると思うと、新聞を読むこと自体も温かく楽しいことのように思えます。
そんな気持ちにさせていただいて、本当にありがとうございました


スケボー

インフルエンザの予防接種でしばらく忙しくしていて更新できずにいました。
どうもすみません。
気まぐれな発信者ですが、今年もお付き合いください。

ついさっきの出来事。
クリニックの駐車場に車が停まったので、
でかい商売道具で家まで帰れないので、うちの駐車場に仕事用のタイヤショベルを置かせてあげてる近所に住んでいるオペレーターか来たかと思って、駐車場の照明を点灯して表に出たら何だか様子が違う。
いつも乗ってきている車とも違うし、若者三人がスケボーをしている。
「@@(件のオペレーター)の仲間かい?」
と尋ねると、3人ともきょとんとしている。
「どしたの?」
と、尋ねると、
「こんなに舗装が出ている場所は他に無いから」
と、スケボーをしにきたらしい。

常日頃
「中標津で2番目に舗装が出ている場所」
を自負している当院の駐車場ですが、(第一位は飛行場)
日頃の雪かき活動が評価されているようで、うれしい気持ちになりました。
「となりのバアサン寝てるかもしれないから、静かに楽しんでね。」
と言い残して照明をつけたままにしておいたら、しばらくしたらいなくなっていました。

やっぱり寒いよね。


写真

先日、鳥取県米子市で「日本小児科医会総会フォーラム」という大きなミーティングが開催されました。
日頃からお世話になっているとなり町の境港市(鬼太郎などの妖怪達が立ち並ぶ水木しげるロードのある町)の先生が、わずか4人の実行委員会の委員長になられたので、人手不足の明らかな現状に黙ってはいられず前日入りして運営のお手伝いに志願しました。
閉会式までいてしまうと、どう考えももはやその日のうちには中標津までは戻れるはずもなく、翌日も半日以上休診になってしまうので、「申し訳ない」と思いながらも「この際だから」と一日休診にして鳥取市まで足を伸ばしました。
というのは、子どものころから「一度は行きたい」と思っていた鳥取砂丘が見たかったからです。
中国山地の花崗岩(かこうがん)、千代川の流れ、日本海側の北西季節風、の三つの要素が偶然を越えた奇跡的な組み合わせとなり、数千年をかけて出来上がった巨大な砂丘は見るものを圧倒するすさまじい迫力があります。

砂丘自体もすごかったのですが、近くにあった「砂の美術館」がまた素晴らしかったです。
国立公園であるため持ち出し禁止の鳥取砂丘の砂は、その組成、粒子の大きさ、不純物の少なさから、水と一緒に枠に入れると見事に固まります。
まるで雪像作りをするときに枠の中に雪を詰め込むようなものです。
そして、できた大きな砂の塊をこれも雪像作りと同様にいろいろな道具を使って掘り込んでゆきます。
雪像作りと決定的に違うことは、砂像は一旦削りすぎてしまったり、突出した部分が折れてしまったら、「雪と水を混ぜてくっつける」といった修復が効かない事です。
細心の注意を払って作られた巨大な砂像が屋内に(雨にぬれると崩れてしまう)に配置された1年限りの作品群です。

そこで眼にした光景に若干の違和感を感じました。
スマホが広く普及するようになってから、景勝地、観光地、イベント、飲食店等々、あらゆるところで写真撮影をしている人を見かけます。
かつてのカメラは、「持ちフィルム」の数的制限がありましたが、スマホ時台の今では何枚取ってもコストがかかりませんから「食べ放題、飲み放題、撮り放題」状態です。
全ての砂像の写真を撮り、さらに自撮り棒で写真を撮り、といった作業を次々と繰り返してゆく方を数多く見かけました。
砂像のスケール感、迫力、質感はカメラには絶対に納まらないのだから、「もっとちゃんと観ればいいのに」と思うのですが、記録におさめることの方が優先事項のようです。
私達の町の開陽台もでも、多くの方がカメラを回したりしてパノラマ写真の撮影をしていらっしゃいますが、あの息を呑む風景を記録することは不可能です。
ライダー時代に多くのそんな風景に出会った私は、カメラに納めて自分のものにした気になるよりも、瞳を通して脳裏に焼き付ける方を選択しました。
毎年のように訪れた北海道でしたが、そのうちにカメラを持つことさえなく旅をしていました。

幼稚園の運動会や学芸会で、わが子の晴れ姿をビデオに納める事に全労力を費やしているご家族に対して、「リハーサルはどうぞ御撮影ください、本番は全体を観てください、公式映像はこちらで撮影します。」といった対応も今や珍しくはありません。
シャッターを切ることを否定するつもりは全くありませんが、せっかくなんだから「よく観てよっ!」と思うのであります。


七転び八起き

今日は管内某高校まで内科健診に行ってきました。
広い音楽室の一角に診察スペースがあり、残りの部分で生徒さん達が上着を脱いだりしてスタンバイをしています。
パーティションで区切られているために姿かたちは見えないのですが、生徒さん達の話し声が聞こえてきてだんだん大きくなってくると、養護の先生が注意して一瞬静かになり、しばらくするとまた賑やかになります。
そんな中で生徒さんのうちの一人が、ダルマの絵「七転び八起き」の文字を描いてあるTシャツを着ていました。
パーティション越しに聞こえてくる会話は
「七転び八起きって、おかしくない?」
「何で、7回転んで8回起きられるの?」
というものでした。
今まで何の疑問も感じずに「熟語」としてそんなもんだと思っていたのですが、そう言われてみると確かに変です。
文字の並びから「何度でも!何度でも!」という雰囲気はよく伝わりますが、確かに7回転んだだけでは、7回しか起きられません。
若者の素直な感性に驚かされました。
拍手です。


急行「はまなす」の思い出【後編】

打ち始めたうちにダラダラと長くなってしまって、「はまなす」に乗る前に【前編】が終わってしまいました。
いよいよ「はまなす」に乗り込む【後編】です。

新青森駅では素早くホームを走りぬけて改札を通過し青森駅までの一区間だけ乗る列車に向かい、青森駅で乗り換えに有利なポイントで電車に乗って臨戦態勢です。青森駅に着くやいなやダッシュで「はまなす」に向かいますが、残念ながら客車の数はいつもどおりで増結されている気配はありませんでした。「新幹線からこれだけ多くのお客さんが乗り継ぐのに大丈夫かよ?」と思いながら2両だけある自由席車両の1両目に乗り込むと、「残念、満席!」続いて2両目に移動するもこれまた「残念、満席!」万事休すです
その時、2両目の車両の中央付近に子どもがたくさん座っていることに気づきました。見るからにサッカー選手っぽいスポーツウエアーを着てお行儀よく並んでいます。
急行「はまなす」は青森駅を出ると次の停車駅は2時間半後に津軽海峡の向こう側の函館駅です。その後はチョコチョコと停車を繰り返しながら札幌に向かいます。
そこで「札幌から来たのであれば、さすがに鉄道の長旅は選択しないだろう。この子達は次の停車駅で降りるのではないか?」と考え、近くにいた子どもに「君たち、どこから来たの?」とにこやかに尋ねると「函館です。」と、予想通りの答えが帰って来ました。「この先2時間半は立っていなければならないが、このグループの真ん中あたりの通路に立っていれば間違いなく函館から先は座ってゆける」と、とりあえず函館から南千歳の5時間は座って行けることが保証されてまずはほっと胸をなでおろしました。
監督と思しき方からお話を聞くと、この子達は本来は2時間ほど前に出発した函館行きの最終の「スーパー白鳥」に乗って午後10時前に函館駅で解散する予定だったらしいのですが、新幹線のダイヤの乱れで乗り継ぐことができずに夜行列車に乗る羽目になったようです。みんなこの雪には「やられてる」のです。
こちらはというと近くにいた「札幌まで帰る」サラリーマン風の若者に「みんな函館で降りるらしいよ♪」と話しかけて、お互いに励ましあっていました。
通路にまんべんなく人は立っているものの、決して「すし詰め」までは行かない状態で「はまなす」は函館駅を出発しました。となると、この先函館までは人が増えることは無く、その函館からは座ってゆけるという安心感、満足感にみ満たされた気持ちになりましたが、そうなったらそうなったで、かのアドルフ・ヒトラーの言うとおり「欲望は膨張」するのです。
函館から先の着席が確保されると、次に「座席ではなくとも、なんとか函館まで座れないものか?」という思いがムクムクと首をもたげてきます。スーツケースでも持っていれば即座に椅子にするのですが、あいにく持ち物はリュックサック1個で役に立ちません。そこで「何か使えそうなものは無いか?」とキョロキョロと車内を見渡すと・・・・「あった!」
先ほどお話をしていた監督さんと思しき人の背中と座席の背もたれの間にでっかいスーツケースがありました。チームのメンバーが混み合った列車の中で着席しているので、網棚にのらない大きな荷物を通路に出すことをためらっていらっしゃるのでしょう。すごく「いい人」です。
そのスーツケースにはおそらくビブス、フラッグなどの「監督七つ道具」が入っているものと推測されますが、中身なんてどうでもいい!私はあのスーツケースを椅子にして座りたいのです。
しかしながら「そのスーツケース貸してください、座るから」とはさすがに言えませんからとんちの一休さんのようにひたすら脳みそを回転させます。そして「チーン」と鳴りました。

私:「列車が走り出しましたから、もう乗ってくる人も、車内を移動する人もいらっしゃいませんので、背中のお荷物を通路にお出しになってはいかがですか?」
監督:「いえいえ、子ども達がこれだけ多くの席に座わらせて頂いて、その上通路に荷物を置くなんて申し訳ないです。」
私:「通路にはまだ余裕もありますし、せっかく座れたのであればゆったりなさって下さい。」
監督:「いえいえ、こうやって座らせていただいてるだけでありがたいと思っています。」
私:「今日は子ども達の引率でお疲れでしょうし、明日もお仕事ですよね?ゆっくり体を休めるのも仕事の内ですよ。」
監督:「そうですかぁ?それではお言葉に甘えて」
と背中のスーツケースを通路に出されました。
私(心の声):「来いっ!来いっ!」
そして監督は通路に出したスーツケースを横にしました。
私(心の声):「来たっ!!来たっ!!」
監督:「よろしかったら、おかけになりませんか?」
私(心の声):「やった!!!やった!!!」
私:「えっ?よろしいんですか?ありがとうございます。」
と言って、近くのサラリーマン風の若者と「スーツケース椅子」をシェアして函館まで座らせていただきました。
立っていたときから比べると夢のような環境で、函館駅までうつらうつらしながら過ごしました。天国のような気分です。
そして、函館駅では笑顔で子ども達を見送って、念願の座席に座って帰って来ました。

当事は「生きる力が冴えた!」と思っていましたが、今どきの表現を使えば監督さんは私のメンタリズムにまんまとはまってしまったと言うことでしょうか?

そんな急行「はまなす」の思い出でした。


ギガビッグマック

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となりに置いてあるガラケーと大きさを比べて下さい。
一昨日東武まで買い物に行ったら、マクドナルドのところに「グランドビッグマック」の大きなポスターが貼ってありました。
横綱白鵬がCMに出演したことで話題になっていたので話には聞いていたのですが、「どんなもんだろう?」と例によって好奇心スイッチが入ってしまってフラフラとカウンターに吸い寄せられてゆきました。

若い頃にビッグマックを食べて感激した横綱白鵬が「もっとビーフがあったらうれしい」と語ったことが新商品のきっかけという話の真偽はよくわかりませんが、そそられるポスターでした。
今を去ること20年近く前に横須賀の病院に勤めていた頃、やはり期間限定商品ということで3枚のビーフパティと2種類のチーズがはさまった「トリプルマック」というハンバーガーが発売されて、病院の近くのマクドナルドまで当事一緒に働いていた若手医師と毎日のように繰り出した思い出がありますが、それ以来の「たぎり感」です。

解説によるとビーフパティがビッグマックの1.3倍ということですが、単純に肉の量だけ比べれば「ダブルクォーターパウンダー」の方が多いような気もするけれど、いわゆる「ビッグマックフリーク」にとっては、あの「ビッグマックソース」じゃないどダメなのでしょうね。
などと、いろいろな思いを頭の中をグルグル回転させたままカウンターまで行くとレジ脇にA4サイズくらいの掲示を発見。
そこには「ギガビッグマック」の文字と写真が・・・
ご存じない方のために、ビッグマックの基本構造は上から、
バンズ(ぱん)→パティ(肉)→バンズ→パティ→バンズ
です。
グランドビックマックでは、その1段1段がやたらとでかいのが売りなのですが、ギガビッグマックでは、そのデカさはそのままに、
バンズ→パティ→パティ→バンズ→パティ→パティ→バンズ
という構造になっています。
私の好奇心ターボスイッチは即座に反応してしまい・・・
注文しました。
待つこと数分、マクドナルドでは見たこともない大きな箱に入って重たい食べ物がやってきました。

どうやら単体で1000カロリーを超えているようで、デカポテト、デカコーラと一緒に頂くと、先日の「キング牛丼」と同じく成人男性の1日分の摂取カロリーを超えてしまいます。
私たち中年男性にとっては、極めて危険な食べ物です。
でも、また食べたいっ♪


急行「はまなす」の思い出 【前編】

私たちの人生はその手につかんでいた物を手放すことによって、はじめて新しいものを手に入れることが出ます。
北海道新幹線が華々しく開業した日の1週間ほど前、青函トンネル開業とともに札幌と青森の間を一晩かけて走っていた日本最後の急行列車「はまなす」が、28年間の役割を終えて私たちの前から姿を消しました。

釧路発の最終の「スーパーおおぞら」に乗るとちょうど南千歳で乗り継ぎのできる「はまなす」は、終点青森から新青森経由で東京行きの「はやぶさ」の一番列車に乗り継ぐことができるとても便利な列車でした。
東日本大震災の後は、三陸沿岸にボランティアに出かけるときによく利用しました。
仕事を終えて大急ぎで釧路に向かい、南千歳、青森経由で、仲間の待つ盛岡駅に午前7時頃に着くので、そこそこの時間に沿岸地域にたどり着くことができて実に重宝しました。
帰りの列車は青森を午後10時過ぎに出発し、札幌に6時頃着くダイヤなので「仕事前に中標津に戻る」ことはできないのであまり利用をすることはありませんでしたが、東北からの帰りが遅くなる折には時々利用して、南千歳で下車をして新千歳空港に向かい、中標津行きの朝の飛行機で「ちょっと遅刻」くらいで帰ってくることもありました。
そんなこんなで、何度もお世話になった急行「はまなす」ですが、その中でも一番思い出に残っているのは、首都圏で新成人達がとんでもない目にあった3年前の成人の日の乗車です。

所用で横須賀方面に出掛けた1月のハッピーマンデーを含む3連休の最終日、用事を済ませて外に出ると思いのほか雪が積もっている。「駅まで送ってあげるよ」という車に乗るもあたりは、わずか数センチの積雪ながら雪に不慣れな皆さんがチェーンも履かずに出かけてしまうものだから幹線道路は大渋滞。四駆の人たちは多少の山坂を乗り越えて裏道を走ってゆきます。そんな流れに乗って命からがら京浜急行の駅にたどり着き電車がほぼ正常に動いていることを知って「ああ、これで帰れる」とほっと胸をなでおろして電車に乗りました。余裕を持って行動し普段より相当早く電車に乗れたので「横浜駅で途中下車してハングリータイガーのハンバーグでも食べようかなぁ・・・」などと能天気な願望が湧き上がりましたが、そこはぐっとこらえてまっすぐ羽田空港に向かいました。終点の羽田空港で電車を降りると地下のホームから地上に上がるエスカレーターで反対側を下ってくる多くの人たちとすれ違い「飛行機から降りて空港を後にする人がこれだけ沢山いるのだから、無事に羽田空港には着陸しているのだろう。着陸さえできれば離陸の方が楽々だぁ。」と無事の帰還に更なる確信を持って出発ロビーに向かいました。するとなにやら様子がおかしい、多くの人がごった返し係員が拡声器で大声を上げている。「なにかな?」と思ったら、わずか数センチの雪のために羽田空港の滑走路は閉鎖されてしまい、「全便欠航」とのことでした。北海道移住後十年を過ぎ、だんだんと感覚や常識が「道産子化」していた私は、こんなわずか数センチの雪で天下の「東京国際空港」が、有事の際には天皇陛下が関東を脱出する時に使われる「陛下の空港」が、使い物にならなくなるとは、これっぽっちも思わずに空港に向かった我が身の浅はかさを恥じました。飛行機に乗れずに引き返してくる人の波を「飛行機降りても、おうちまで気をつけて帰ってねぇ〜♪」などと人の心配していた我が身の愚かさを恥じました。
しかし、落ち込んでいる場合ではありません。私は中標津まで帰らなければいけないのです。既に翌日の飛行機は早めに振り替えた人で既に満席になっており、羽田からの飛行機をあてにしていたら明日中には帰れません。絶体絶命の大ピンチです。
津軽海峡を越えて北海道内にたどり着けば、あとはなんとかなるのではないかと考えた電車オタクの私の脳裏にほんの一筋の光が射しました。
「はまなすを使えば帰れるかもしれない」
新幹線で新青森まで行って青森経由で「はまなす」に乗り継ぐにはぎりぎりの時間かと考え、羽田空港の売店で最新の時刻表を買って駆け足で天下の「東京国際空港」をあとにしました。東京駅までたどり着くと案の定新幹線のキップ売り場は大混乱。当時東北新幹線の主力だった「はやて」は現在の「はやぶさ」と同様に全車指定席となっており、「とにかく乗ってしまえば、あとはなんとかなる」とは言い難い雰囲気がありとにかく「今から乗れる列車の指定席」を求めて特急券をゲット、「順調に走ってくれれば、はまなすに乗り継げる」と、東京への車中でガラケーを駆使して新千歳→中標津の航空券も確保できたため、ようやく東京駅のホームからクリニックのスタッフに「ちょっと遅れるけど、千歳からの朝の便で戻る」と見通しのある連絡を入れることができました。
しかし、神様はそうそう簡単に帰らせてはくれません順調に走り始めた「はやて」はやがて盛岡を過ぎたあたりから徐々にスピードを落とし始めました。どうやら積雪のための「安全運転」のようです。
時刻表を片手に通過駅で列車の遅れた時間と、走行距離からおおまかな速度を算出して、残りの距離と掛け合わせる。ドキドキしながら計算をするがその結果は「このままでは、乗り継げない・・・」青森を出て青函トンネルを走る最終列車が「はまなす」だから、これに乗れないと青森でゲームオーバーになる。翌朝青森からの「スーパー白鳥」函館乗換えで「スーパー北斗」に乗っても新千歳空港に着くのは午後2時、中標津には夕方。始発の「はやぶさ」で東京まで戻っても中標津行きも、車を置いてきた釧路空港行きも満席。
またもや、絶体絶命に追い込まれてしまった。
「ノロい新幹線」に暗い気持ちで揺られていると、「青森始発のはまなすを待たせて、この列車から接続できるようにします。」という大逆転のアナウンス。これで「なんとか帰れる!」ということは確定してホット胸をなでおろしまた。
しかしながら、この大混乱の中で青森からの「はまなす」がまた一筋縄では行かないだろうということは容易に想像できるわけで「決戦の青森駅」に向けて策を練りました。
東京駅の時点で寝台、指定席は全て売り切れで、8時間近くに渡る長旅を制するにはこの新幹線に乗った全てのお客さんの中でトップクラスの順位で乗り換えて自由席の確保に走るしかなく、青森駅での乗り換えポイントなどを入念に確認して東北新幹線新青森駅への到着を待ちました。

【後編】に続く


旭山動物園

道内にお住まいの方なら既に行った事のある方も多いと思われるベタな話題ですが、先週末に札幌で用事があった帰りに旭山動物園に行ってきました。
有名な「行動展示」は以前から聞いていましたし、以前小児科関係のフォーラムで園長さんの公園も聞いたことがありましたが、なぜか訪れるチャンスに恵まれず北海道移住後14年にして初の旭山動物園です。
個人的には動物達が元気に暴れまわる夏期の動物園を見たかったのですが、今回は女子に人気の「ペンギンのお散歩」が見られる冬期の開園期間に行ってきました。

開門と同時に入場して、まずは噂のペンギンのお散歩姿を拝見しましたが、「やらされ感」の無いペンギンたちの凛々しい姿には「カワイイ」というよりも野性の「たくましさ」を感じました。
その後多くの動物たちのお住まいにお邪魔してきましたが、噂にたがわず彼らが野性で生活している姿に少しでも近づけるべく努力している様がひしひしと伝わってきました。
世の中にはzoology、動物学という言葉がありますが、目の前にいる彼らを見つめる私たちの目は「博物学」ではなく「動物学」の端っこにあるのかなという気がしました。
園内の説明も機械的なものでなく、手書きの説明文にあふれていて「彼らのことを知って下さい。」というスタッフの思いがとてもよく伝わりました。
中でも、フクロウやワシなどの猛禽類に餌として商業的な価値が無くゴミとして処分されてしまうオスのヒヨコを与えているという説明、残酷とか気持ち悪いとか思われるかもしれないことを、「私たちヒトを含めて全ての生き物はほかの生き物の命を頂いて生きている」という当たり前の事実を、子ども達にも解るように説明してあるのを見て、改めて今日動物園で眼にしたものは、博物学的な動物の「形態」ではなく、食物連鎖の中でたくましく生活をしている「生態」であり、さらに突き詰めれば尊厳すべき「命そのもの」であるという事に気づかされました。
近頃は家で亡くなる方の数も減り、都会ではペットも飼いにくくなり、子ども達が身近な「死」を体験、実感する機会が激減しているように思います。
それゆえ対極にある命の実感の無い子どもは他人の命を、そして自分の命をも大切にすることができません。「命」というものを実感できる体験を動物園でもいいですから角逐して欲しいと思います。
そして多くの野生動物たちにとって彼等の一番の天敵がヒトであるということ、直接的に狩猟の対象にならなくとも、地球温暖化でホッキョクグマが住みかを奪われ、森林開発でオランウータンが住みかを奪われ、多くの生物がヒトによって絶滅の危機に瀕しているという事実も今さらながらに再確認されました。
誰も彼らを絶滅に追いやろうとする意図など微塵もないのですが、気がつけば「悪気は無いのに」取り返しのつかない事をしているわけです。
そう思うと、動物たちのはしくれであるヒト自身も近年貧富の差が拡大し「悪気は無いのに」弱い者を死の淵に追いやるような冷徹な経済活動を繰り返している事にも改めて気づかされます。
ちっちゃな動物園の中でいろいろなことを学んで帰れたような気がします。


キング牛丼に想う・・・

SN3U0645.jpg
昨年9月にインフルエンザワクチンの流通問題が生じてから、いわゆる「それどころではない状態」に陥り、ブログを更新していられる状況ではなくなりました。
習慣化されたものが一旦滞ると、ついついそのまま疎縁になってしまうもので、昨年8月を最後に更新が止まっておりました。
だからといってどうってこと無いと思っていたのですが、知人より「いい加減に更新しろよ!」とまるでお客であるかのごときお叱りを受けて再開しようと思ったのですが、気がつけば入力するモードに入るIDも既に忘れてしまい、思い出せないままさらに月日が過ぎやっと今日教えていただいて、キーを叩いております。
ということで、またブログ初心者に戻ってしまったのですが、新たな気持ちで日々の思いをつづります。

まずは、肩慣らしの軽いジャブから・・・

昨夜、去年バイパス沿いにオープンした牛丼の「すき家」に行きました。
すき家自体は内地にいた頃から何度も通っているので珍しくもなんとも無いのですが、店内に入ると「キング牛丼」の張り紙がありました。
そして「メガ盛2杯分です。」というシンプルな説明書きが添えてあります。
あらためてメニューを見ると「ミニ」「並盛」「中盛」「大盛」「特盛」「メガ盛」というラインナップが示され、ご丁寧にカロリー量まで表記してありました。
しかし、現物を見たことが無い私は「メガ盛」の大きささえ実感できないのです
「キング牛丼」が、果たしてどのようなものであるのかは気になってしょうがないのですが、「メガ盛2杯分」という掴みどころの無い分量を果たして食べられるのかということも心配です。
栗山家の家訓は「出された物は、残さずにいただく」というもので、幼少の頃から浸透しておりました、それゆえ不本意な過剰カロリー摂取に至ることもありましたが、家訓として守り続けてまいりました。
未知の「キング牛丼」を残すようなことがあっては、中標津移住の1年ほど前に亡くなった亡き父に合わせる顔が無いと思って、気が気ではありません。
しかし、「見てみたい」という好奇心には勝てずにオーダーしました。
注文を受けて下さった女性が「少しお時間がかかります」とおっしゃっていたので「今からお肉を大量に煮るのかなぁ・・・」などと妄想は膨らむばかりで、「一刻も早く会いたい!」という思いは募ります。
待つこと数分、やってきました「丼」という名にふさわしくない深さよりも面積のある器でこんもりと盛り付けられてやってきました。
まず始めに思ったことは「これなら食べられる」でした。
とりあえずは、父の教えを守れそうだという安堵感を感じて、「食べ方始めっ!」です。
確かに食べ続けると多少の飽きは生じてしまうものですが、終盤は刻み生姜をトッピングしておいしく完食。
食べ終わってみると、食べ物をおもちゃにするような馬鹿馬鹿しい分量ではなく、すき家の在り方にも納得。満足の行く晩ごはんでした。
家に帰ってから調べると「ご飯が2人分、お肉が3人分」のメガ盛りの倍だから「ご飯が4人分、お肉が6人分」2240カロリー成人男性の1日分の摂取カロリーを既に超えています
日頃から学会などで知らない町に行くと結果的に数kg体重を増やして帰ってきます。
数年前に広島市で日本小児科学会が開催された折には、二日間で五つのお店でお好み焼きを食べました。皆それぞれに個性があって夢のようなひと時でした。
これはもう「食欲」の問題ではなく、明らかに「好奇心」のなせる業です。
見たことのない食べもの、そこの町でなければ食べられない食べ物、には少年の好奇心が反応してしまいます。
そもそもにして「ご趣味は?」と尋ねられると「ギターとオートバイと電車」という少年趣味から卒業できず、資格と手に職をGETした高校生がいまだに暴走をしている有様であります。
「食べ盛り」はとうに過ぎ、「働き盛り」も終わろうとしている今日この頃ですが、好奇心だけは全く減衰する気配を見せません。
その好奇心のほこ先が食べ物に向かってしまうと、消費しきれないカロリーを摂取することとなり健康にはよくないのは明白ですが、やっぱりやめらんねぇんだよなぁー


NHKのど自慢

本日、中標津文化会館で「NHKのど自慢」の生放送が行われました。
普段はあまり視ることがなかったのですが、今日は地元開催ということもあってしっかりと拝見しました。
「歌がうまいことを評価する」という視野の狭いものではなく、多くの年齢層の視聴者が楽しめるような気の利いた番組構成にあらためて感心しました。

のど自慢の番組内容とは全く関係ないのですが、
昨日、地元町内会の夏休み子ども行事の「流しそうめん大会」が開かれました。
内地にいた頃には竹を縦に割って、節をくりぬいてやったものですが、北海道には竹が自生しておらず入手困難のため、当町内会では雨どいを組み合わせて毎年実施しています。
ただそれだけのことなのですが、子ども達はワイワイと喜んでくれます。
この「流しそうめん大会」、例年は8月の第1日曜日に行なわれているのですが、今年は「NHKのど自慢とぶつかってしまうから」という理由で前日の土曜日に変更されました。
個人的には
「地元開催で気になるだろうけれど、ビデオでもいいんぢゃない?」
と思っていたのですが、町内会役員の中ではこれでも「若造」に相当するもので、多くを語らず「まぁ、そんなもんか」と思って町内会子ども育成会長として運営に参加しておりました。
しかし、今日家で生放送を視ていたら突然に納得してしまいました。
カメラが客席に切り替わったその時、ぼくらの町内会長の姿がそこにありました。
真面目で、楽しいぼくらの町内会長ですが、その人間臭いお姿に触れてなんだかますます好きになりました。


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